| 2009年12月13日 『宝の箱をあけて』 |
| マタイ2章1節〜12節 はじめに クリスマスアドベント第3聖日を迎えました。来週午後には、 ファミリークリスマスをおこない、組会スタンツで、婦人会の方々は 聖誕劇をしてくださるようです。 各地でも、様々な聖誕劇が演じられることでしょう。 さて、イエスさまのお誕生のシーンに登場する人々を、時間的な順番で並べると、マリヤ、 ヨセフ、羊飼い、シメオンとアンナ、そしてへロデと博士たち…というようになります。 今朝は、この中では最掛こイエスさまを拝みに行った、東方の博士たちの礼拝の姿から、 私たちがとるべき礼拝の態度について学ぶように導かれています。 礼拝の態度といっても、 聖日の午前中の過ごし方ということではなく、神様の御前で私たちが常にとらせていただき たい姿勢ということです。 神の御子イエスさまの前に、博士たちが持っていた礼拝の心につ いて3つに分けて見ていきたいと思います。 【1】希求 ‥それは、彼らの質問のうちに、表わされている。 *「東方の博士」(1節)‥・ダニエル書2章に出てくるカルデヤ人のような階級に属する、星に 関する学者であったと思われる。 *「星」(2節)…旧約時代から、偉大な王や人物が出現するときには、特別な星が輝くという ことが信じられていたそうである。このことは「民数記24:17のメシヤ 誕生に際しての星の出現を示した預言に立脚している。 博士たちは、彼らが持っていた学問・見聞・その他すべての知識を駆使して、そこに自分 たちの希望と期待を集中させて、エルサレムにやって来た。 希求の心が、彼らの前に道を開き、彼らの足を強めたのであろう。 *「ヘロデ王」(1節)…この頃、ローーマの支配のもとにパレスチナ全土を治めていた。 *6節の預言→ミカ5:2は、ヘロデにとっても権威あるものだった。 神が後の時代に救い主を地上に送ってくださるという言い伝えは、色々な国や民族の間にあ ったらしい。 博士たちにとっては、その光、その徴となるものは特別な星の出現だった。 ま た、博士たちが出会ったエルサレムの宗教学者たちは、星の光よりも更に明るい導きとなる もの、すなわち聖書をもっていた。聖書の預言では、キリストはベツレヘムでお生まれにな ることまで特定されていた。 このように、同じ事実を知っていながら、東方の博士たちだけが主への礼拝に至ることがで きたのは、彼らが自分の主として、イエスさまにお会いすることを願い求めたことによると 思う。 博士たちの求めは、曖味なものではなく、2節のように、メシャ誕生の確信に基づく、 焦点の合ったものだった。 主ご自身を見つめつつ、求めるとき、博士を導いた光がその明るさを増していったように、 私たちは、主にお会いできるところへ導いていただくことができる。 私たちの生活は、主を求める心によってつづられているだろうか。その求めに答えられた喜 びに溢れているだろうか。 【2】理解 …それは、彼らのささげ物のうちに、表わされている。 黄金…もっとも価値高い金属で、これは王である方へのささげもの。 乳香・‥礼拝でささげる儀式で用いられていたもので、偉大な祭司へのささげもの。 投薬・白たいへん価値あるもので、遺体の腐敗防止のために使われた。死ぬために来られた方 へのおくりもの。 博士たちは、幼子の姿を見ながら、救い主としてのイエスさまの死を見ることができ、その 葬りの備えとして投薬をささげた。 彼らは、イエスさまが何のために来られたか。すなわち、神であるのに人となり、すべての 人を救うために死なれ、神と人との仲介者となってくださるために来られたことを知ってい た。頭の理解ではなく、イエスさまのご降誕を心で理解していたと言える。 彼らは神から与えられた御子なる方を心で知り、喜んで受け、そして、喜んでこれらを主に ささげたのである。 【3】献身・‥それは、彼らの礼拝の姿に表わされている。 「ひれ伏して」という言葉は、彼らの献身の心を表わしている。 幼子の前で、博士たちは、愛と尊敬をもって、自らを神の前に投げ出す動作を喜びに満たさ れておこなった。 私たちにとって、クリスマスの喜びは、何だろう。それは、主が私たちに与えてくださった愛。 クリスマスに与えられた神様の愛を受け、感謝し、主の前にひれ伏す者でありたい。 神様の前に私白身をおささげし、主になお近づかせていただこう。 博士たちがささげた宝は、価値ある品々であったが、主が喜びお受けくださったのは、主の前に ひれ伏した彼らの心であった。最良のささげものは、高価な物や、価値あると思われる華やかな わざではなく、私自身と、小さな私の精一杯の主へ愛と感謝なのである。 →ヘンデルの「メサイヤ」誕生の物語 おわりに 締め括りに、インマヌエル讃美歌の419番が心に通っています。 私の心という宝の箱をあけて、私さえも愛してこの世に来てくださった方に、愛と感謝をおささ げしましょう。 「貧しき身のはめうたを主は喜び受けまさん」と歌われている通りです。 |