礼拝メモ

2009年11月8日   『わたしは、よみがえりです、いのちです』
ヨハネ11:1〜6、19〜27、32〜40

はじめに

◎10月第3、4・11月第1の3聖日礼拝のこと/感謝=特にこの間の
愛兄姉の励み、両牧師へのお祈りの支援、先週の伝道礼拝の祝福に感謝
◎今朝は(例年より1週遅れであるが)今年の召天者記念礼拝を持つ=
《記念礼拝》とは(教会により、中心目的が少し異なることがあるが)
・召天された会員や関係者を偲ぶ−その信仰や人となりを覚え、温かく
記念する/この折に、家族・親族、友人、信仰の友などが、救い・死・
永遠のいのちなどの大切なテーマに思いを向けることなどが主要である
・召天された魂は、主の最善の御手に委ねられているゆえ、供養や遺され
れた人々の善行・功徳で、その魂が左右されないというのが聖書の教え
◎今朝、ヨハネ11章の出来事(背景の略説の後摘ゝら、その教訓を学び、
『彼は死にましたが、その信仰忙よって、今もなお語っています』とあ
るように付11:4上その生涯・生き方を適しての声にも耳を傾けよう。

T.試練・困難の厳粛な現実/不可解と思える出来事にも直面
=クリスチャンといえども、こうしたことに直面する現実
A.主の愛の対象者が、厳しい試練に遭遇するという現実。なぜか?
『主よ、あなたが「愛しておられる者」が病気です』(3)
B.主の助けが、もっとも必要な時に、それが遅延されたという事実
主イエスも『家族を愛しておられた』(5)にもかかわらず/、『そのお
られる所に「なお二日」とどまられた』(6)のは、なぜなのか?
C起きた出来事は、主の御介入がなかったのが理由と思えること
『もしあなたがここにいてくださったなら、兄弟は死ななかったでし
ょうに』(21)(32)愛する者の死と別離の悲しみの中での実感と疑義
=これらを総合すると、信仰者も「なぜ?どうして?いつまで?」など、
数々の疑問・疑義・葛藤に当面する苦悩・試練があることを実感する。

U.主キリストは、どう私たちに対応し、臨まれるのだろうか
A.現場の直中に、臨んでくださる主イエス
『「もう一度、ユダヤに行こう」と言われた』(7)
B.明快・圧倒的な宣言 (25)(26) ⇒「締括りの項」参照
C.心底から憤られる主イエスーなにゆえの、憤りだったのが
『霊の櫨りを覚え、心の動揺を感じて言われた』の
D.心底から理解・同情される御方、主イエスーなにゆえの涙か
『イエスはなみだを流された』 (35)
E.信仰のチャレンジの実行を促される主イエス
『その石を取りのけなさい。/もしあなたが信じるなら、神の栄光を
見ると、わたしは言ったではありませんか』(39)(40)

おわりに −もう一度総合して・‥・
◎人生の、最大の試練・厳しい現実の一つは「死と死別」に直面すること。
◎その中で、主が対応・克服の道を示してくださる現実・事実も覚えよう。
・主の限りなく意味深い恵みは、飛び込み、憤り、涙の行動に象徴される。
・しかし、最大の恵みの対応は、『わたしはよみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです/また、生きていてわたし
を信じている者は、死んでも生きるのです』(25)(26)との宣言である。
◇何のてらいもない、真正直な、全人格的な宣言である=「わたしこそ
が、いのち、よみがえりそのものである」と!
◇ここにはラザロへの甦りの御業の成就により、後には、自らの十字架と復 活によって実証された、永遠のいのちの約束がある。
◇鍵は「信じる」にあり、(40)と「この事を信じますか」(26)の、私たちへ の問いかけにある。
=召天者記念の朝、各自が、個人的な信仰の良き応答・刷新をと祈る