| 2009年10月4日 『十字架、このふしぎなもの』 |
| ルカ23章33〜47/Iコリントl章18節;22〜24節 はじめに ◎皆様方のご来会を、心から歓迎いたします。今年も残すところ3カ月、 第1日曜の伝道礼拝もあと3回、ご来会を心からお待ちします。また 礼拝後の軽食と交わりと、参加可能な方はぜひ、お加わりください。 ◎今月の主題は「十字架」です。一般に知られていることを挙げれば ・キリスト教会のシンボルから、女性のペンダントまで幅広く見られる ・イエスが十字架で殺された、キリスト者信仰の中心となっているもの ◎しかし考えれば、実にふしぎな事です− ・十字架刑は、約2千年前のイスラエル地方では最極刑で、時間をかけ て苦しめ、人々の目に晒し、血と水の不足から死に追いやるという、 もっとも残酷な、極悪人の処刑方だったことに思いを致すと、 ・なぜ「それがキリスト者の救いの道なのか」との質問が出てくる T.十字架は、人の心底を映し出すもの A.キリストが十字架で処刑されたのは −ルカ22〜23章など ・根底の理由=率直な清さと義の主張と民衆の共感・人気が、当時の 偽善、形式、権力的宗教・政治家の嫉妬・反感・危機感を生み抹殺を ・具体的=弟子の裏切・捕縛・辱しめの後、一方的な不当裁判で処刑へ B.こうしたギリギリな状況は、人の心底にあるものを映し出す ・嫉妬・偽善の律法学者や祭司 ・睡魔・裏切り・逃走・否認の弟子 ・付和雷同/流れにのる民衆 ・権力をかさに、尊大・不敬虔な兵士 ・優柔不断の裁判官ピラト などなど U.十字架は神の(神的)深い愛を示すもの A.実際の十字架で展開された −ルカ23章を中心に 十字架上の7言の最初の3つ(敵・罪人・親しい者へ〉=それは自らの 教えてこられたことの実践 マタイ5章 B.その根底にあるもの(ヨハネ3:16など) (世間一般での「愛」は、種々多様であるが、傾向としては、自己願望 や欲に基づく自己中心・見返りの期待・受ける面の求めるなどが多い) ・(聖書の)神の愛は、アガペーと言われ、「受けるに価値の無い者一人 り一人に注がれる一方的、無償の愛」を示す ・その愛が、キリストの受肉と地上生産・十字架によって具体的に示さ れ、それは人類全体・私たち一人一人に及んでいる V.十字架は人(私)の救いの道 A.救いの道である/神の愛の発露だけではない ・聖書は、人類・私の最大の問題は「罪」であり、その根本は自己主張・ 自己中心である/人は自分の努力・功徳では解決できないと言う。 ・その解決のために、神の側から、御子が送られ、人類の「罪」を背負 って十字架にかかり、解決の題を開かれたと教える。 B.十字架を通して救いの経験のために Iヨハネ1:9 ・十字架を前に、神の前に「自分の(罪)を認める/そして告白する ・その解決のために備えられた十字架の救いの約束を信じる −これらは聖書・御言葉に立ってなされる。信仰による。 おわりに ◎この十字架の福音に対して、いろいろな対応・反応がある。 ・余りにも、単純・割り切り過ぎていないか。にわかに信じがたい教え である/・本当に「罪」が人類の最大問題なのか/・2千年も前のパレ スチナの出来事が、はるか時代も、距離も離れている日本の「私」に 関わるとは思えない。言じられない。 ◎これに対して心に留めたいことは− ・コリント1章の聖句にあるように、すでにその時代から、十字架の教 えは「弱さ・躓き」「愚か・烏鹿馬鹿しいもの」だった/・しかし受 け入れ、信じた者には、救いの力となる。/・古今東西の多くの名士・ 有名人も信じ、受け入れている事実も直視したい。/・なぜ信じられ るのか? 人が自分の真の姿・罪の実体を直視し、その必要を切実に 覚える時、信じられる、信じらないではいられない。数々の実例があ る。あなたは?との問いかけを、神はあなたの心に向けておられる。 |