礼拝メモ

2009年8月23日   『神を知る者に』
詩篇19篇

・・はじめに・・
この詩篇は表題の下に「ダビデの讃歌」とある通り、イスラエルの王ダビデによって歌わ れたものである。ナルニア国物語の作者として、今や日本でも知られているC・S・ルイス は、聖書学者でもあったが、彼はこの詩篇について、「全詩篇の中でこの詩こそ最大のもの であり、世界における最も偉大な韻文の一つである」と言ったそうである。
今朝はこの美しい詩篇から、「神様を知る」ということについて3つのポイントに分けて 見ていきたい。3つの区分(1〜6節、7〜11節、12〜14節)に従って学び、主からの メッセージを受け取らせていただこう。

【1】「自然界を通して」……1〜6飾

ダビデは自然界を通して、私たちにご自身をアピールし、知らせ続けていてくださる神様 を知っていた。彼は、神様からの語りかけを受け止め、美しいことばでほめたたえている。
被造物を通して、それらすべてを造られた主を思うとき、私たちは、肉体の目に見えると ころを越えて神様ご自身を知り、その語りかけを聞くことができるのではないだろうか。
自然界、被造物は無言であっても、造り主のことを雄弁に証ししている。神様は、全人類 に隔てなくご自身をあらわし、その証しを常に発信し続けていてくださる。ダビデが受け 取り、この部分で歌っている「知識」は、知能や学識や年齢などに関わらない、内的な理 解力をさしているであろう。

【2】「みことばを通して」……7〜11節

人は罪によって心の目が曇り、被造物によってだけでは神様を充分に知ることができない。
(→ローマ1:25)そのような私たちに神様はみことばを与えてくださった。
7節…ダビデはこの部分で、自分が神様の教えによってどのように生かされているかを 述べている。彼は、みことばを通して神様を知り、そのみこころに従うならば、 そこには、いのちをもたらす すばらしい恵みがあると歌っている。
8節…神様がみことばをもって私たちに要求なさることは、すべて、神様ご自身の聖さ のゆえに正しい。そのことを領くとき、私たちの心は喜びに満たされる。
みことばに対する服従によって、私たちは環境、状況にかかわらず喜びを見出し、 輝きを持ち続けろことができる。
9節…みことばを通して神様を知り、そのみ旨に従っていくなら、ますます、主と主の ことばに対する愛が深くなる。このことを、ダビデは
10節…彼の時代の人々にとって最も貴い金属であった純金や貴重な蜜にたとえて語って いる。  →星野富弘氏の経験

【3】「祈りの生活を通して」……12〜14節
ダビデが言う、みことばに従う者、主の教えを糧として生きる者への報いについて。
「私の口のことば」=私の外側の言動と、「私の心の思い」=私の内的な姿勢、つまり 私の全存在が主の御目に「受け入れられる」よう願うことができる。
この部分は、11節までとは変わって、祈りになっている。
これらの聖句に、また行間に、「祈り」という神様との交わりによって、なお深く主を 知り、みこころに従うことを目指す者の幸いが歌われている。

おわりに

ペテロの手紙第二3章14〜18節を開こう。
『そういうわけで、愛する人たち。・・・しみも傷もない者として、平安をもって御前に 出られるように、励みなさい。・・・私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの 恵みと知識において成長しなさい。』