礼拝メモ

2009年7月19日   『伝道者からの手紙「私の喜びが満たされたように」』
ピリピ2章1〜18節

・・はじめに・・
ピリピ人への手紙は、ヨーロッパで最初に、パウロの伝道旅行によって生まれた 「信者の群れ」つまり教会に宛てて書かれた手紙である。
伝道者パウロが、この手紙を書いたとき、彼はローマで囚人となっていた。
その束縛は、牢獄ではなく自費で借りた家で過ごすという程度のもので、 自由に福音を語ることのできる情況(使徒28章)だったようだが、ピリピに住む 人々のもとに行くことができないパウロは、愛する人々への思いを筆に託したのである。
パウロによって書かれた手紙はいくつもあり、この事と同じ幽閉期間にも「獄中書簡」とし て区分される他の書があるが、囚われの身のパウロが、自らが導いた人々を思い、「喜び」 を綴ったということが心にとまり、説教題のはじめに敢えて「伝道者からの手紙」とつけた。
先聖日、進発礼拝をもって下半期に踏み出した徳島教会のお互いが、キリストの体の各器 官としての働きを担ってゆけるようにと、祈り思いめぐらす中で、今朝のみことばが与えら れた。この2章前半と、ピリピ書の他の聖句にも目をとめながら、大きく3つに分けて、パ ウロが手紙の中に打ち出していることを学び、主の語りかけを聞き取らせていただきたい。

【1】「喜び」……パウロは、彼の生涯に貫かれている「喜び」を打ち出している。
パウロはどんなときにも、満ち足りることを知っていた。
キリストと共に、キリストのために生きる喜びが、パウロを生かしていた。
彼にとって、人生におけるただ−一つの目標は主に仕えることだったと言えるだろう。 (1:21) そして、彼は愛する人々にも、共にキリストのために生き、主のために働く ことを求め、「私の喜びが満たされるように」と語っている。
パウロの「喜び」は、どのような境遇にあっても満ちあふれていた(4:11)が、そのよう な彼が、「わたしの喜びが満たされるように」「あなたがたは一致を保ち、心を合わせ、 志を一つにしてください」と言っていることが、心に響く。
私たちが一つとなることを、主が私たちに期待し、命じていてくださること、そして、 私たちの一致は、教会全体、ひとりひとりの喜びを満たすものであるということを、 おぼえよう。

【2】「キリストの心」……パウロは、彼が倣い続けている「主の姿」を打ち出している。
パウロは、「互いに」(3節)、「他の人」(4節)、「あなたがたの間」(5節)という言葉を用 いて、相互の在り方を語りながら、しかし、彼らが相手や自分の外側、あらわれに心 を置いてしまうことのないよう、そこに「しもべとしてのキリスト」のお姿を示してい る。自分や人が何が出来るか、何をしてきたかというようなことに終始し、とらわれ るのでなく、「キリスト・イエスの心を心と」(5節文語訳)し、主に倣い、主のように なる(変えられる)ことを絶えず目指すものでありたい。

【3】「希望」・・・・パウロは、彼がともに仰ぎ望もうとする「希望」を打ち出している。
パウロは、「みこころのままに」という希望を語っている。
彼は、私たちにもたらされる成長と証しの希望、そして、キリストの日の希望を語っている。
15・16節に記されていることは、神のみこころによる約束である。
「私を強くして下さる方によって、どんなことでもできる」(4:13)と記されている通りである。

おわりに
今朝も私たちには、「キリストにあって励まし」、「愛の慰め」があり、「御霊の交わりがあり、 愛情とあわれみ」がある。そうであるなら私たちには、主にある一致と成長が約束されている。 「一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つに」、喜びに溢れ満たされることを願い、 ともに進み行かせていただこう。