礼拝メモ

2009年6月21日   『走り続けるために』
ヘブル人への手紙12章1〜3節

・・はじめに・・
教会が新しい体制で出発してから、早2ケ月が過ぎた。個人的にも、この地での生活、奉 仕の形態‥・、何もかも初めての事ばかりが続く日々を、走り続けてきたような感じである。
さて、朗読された聖書の箇所にも、「走る」とか「競走」という言葉が使われている。新約 聖書には、他にも「空を打つ拳闘」とか、「サタンとの格闘」といったようなスポーツを連 想させる表現が使われている。 今朝は、「走る」ということから、私たちが信仰のランナー であることを思い、走者として知るべきいくつかのことを見ていきたい。

【1】その競走と注どのようなものか(1節)
*多くの証人に敢り巻かれて走る。
11章に記されている実在した信仰のランナーたちの生きた証し。→11:1
*「捨てて」走る。・‥不信仰の罪を捨てて走る。
「重荷」…邪魔になるものを表わしている。
「まつわりつく罪」‥・原語では特定の罪を表わしている。この手紙の受取人である ヘブル人のキリスト者たちが抱えていた問題は、失望と不信仰。
*「忍耐をもって」走る。
*走り続ける。

【2】その鏡走をどのように走るのか(2・3節)
二つの命令「目を離さないでいなさい」と「考えなさい」があるが、どちらも、目と思 いを同じ方(イエスさま)に向けるようにと書かれているので、主がどのようなお方で あるかを学びつつ見てゆく。
*「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」 「ご自分の前に置かれた喜び」・・・購いの完成と神の右に着座することに向かって、 十字架の道を走り続け、完走された主から目を離さずに。
11章の聖徒たちにまさる信仰の模範者として、先立って走られた姿を見続けて。
*「忍ばれた方のことを考えなさい」
この「考えなさい」は、新約聖書中この箇所だけに使われている表現で「注意深く熟 考しなさい」という意味。
「罪人たちのこのような反抗」ということの中に自分を見るとき、それを「忍ばれた 方」の恵みと愛を知ることができる。

おわりに
このイエスさまから目を離さないで、この方が私のために忍んでくださった十字架を思い、 信仰の道を走り続ける者でありたい。私たちと同じ人として、あらゆる苦しみを経験し、そ の中でも父なる神のみ旨に従い通し、みこころが最善であるという信仰を貫かれた主こそ、 私たちの弱さをも知って導いてくださる方である.そして、私たちは孤独なランナーではな く、傍らで私を励まし強め助けてくださる方がおられる。この一週も、信仰の道を走り続け るために、主に従い、主を仰ぎ見ながら進ませていただこう。