礼拝メモ

2009年6月7日   『神の恵みを見て喜び、常に主に留まるよう』=教会B
使徒の働き11章19〜30、13章1〜4節

−据えられた土台の確認と前進(5)
・・はじめに・・
◎愛兄姉がそれぞれのベストを尽くし、信仰生活と当教会の営み に積極的に励んでおられることに大変励まされています。
たてあげの会などでのご意見や個人的な牧師への提言に感謝。 さらにご都合で、午後の集会出席の難しい方々、折々の礼拝 出席の兄姉、最近加わられた信仰者の意向をも大切にしたい。
◎長い間、前任者によって据えられてきた土台を、改めて確認し 前進の備えをするというのが、この礼拝のシリーズの目的です。
最初に『救い』、続いて『教会』を取り上げた。教会につい ては、「キリストの主体性」「有機的・生命的な繋がり」に 思いを向け、「払たちの目指す教会」の2回の学びで締括る。
◎ある方は、私たち小さな群れには、あまりにも理想的過ぎ、現 実とかけ離れていると思われるか知れません。しかし私たちは は、主の教会の一員として確とした目標をもつことが大切です。
◎使徒11章(と13章の前半)のアンテオケ教会に学びます。
アンテオケ教会は、教会迫害のため、散らされた人々によっ て誕生した教会で、ここに主の摂理と信仰者の姿勢を見る。
『…・迫害によって散らされた人々は‥‥までも進ん で行ったが・・・・』
教会の実情を知るため、(いわば〉本部教会から、バルナバが 派遣され、この教会はさらに成長する→細かく教えれば実に 多くの特色があるが、7項目に纏め、チヤレンジこ注目する。

T.恵みの見える群れ(22〜23)
『…・バルナバを‥‥派遣した。彼は、そこに到着したとき、 神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にと どまっているようにと励ました。』
バルナバが到着して見たものは、「神の恵み」だったのです。
A.不思議な表現に注目しよう。恵みは「見える」ものか?そ れは何を意味するのか?そう表現するほどに溢れていたのだ。
B.何がそうさせるのか?そうなるためにどんな要素が必要なの か? 私たちにとって、あるべき、なすべきものは何々か?
−実際に祈り、思い巡らしたい。そのような教会を目指そう。

U.生きた愛と交わりのある群れ(19〜20)
『…・ユダヤ人以外の者にはだれにも、御言葉を語らなかった。 ところが・‥・が幾人かいて、アンテオケに来てからは ギリシャ人にも語りかけ主イエスのことを宜べ伝えた。』
教会誕生の始めから、旧約背景をもつユダヤ人=選民中心の教会 形成だったのに、今までのどの教会にもない特色として、異邦人 にも語りかけ、群れが形成されたのは、実に驚くべき事でした。
A.文化・国家の相違をこえたコスモポリタン的な交わりの群れ。
確かに使徒1:8は(マタイ28:16〜も)対象が全世界と 明確に語るが、実際的には、観念の大きな「壁」だった。ア ンテオケ=地方教会が、打破一番乗りとなったのは興味深い。
B.主の十字架が、こうした「隔ての壁」を打破したは(エペソ2章)。
今も私たちに、人種、異文化、背景や状況・その他の違いな どをのりこえた、主の十字架の愛により形成された交わりの 大切さを教える。→初代教会は言われた、「見よ!彼らは・・」

V.キリストを生きる信仰者の群れ(26)
『弟子たちは、アンテオケで初めてキリスト者と呼ばれ・・』
「キリスト者=クリスチャン」という言葉が、エルサレムでなく アンテオケから始まったと言うのは、興味深いことです。
A.「キリスト屋さん」(ニックネーム?)が起源と考えられる。
それほど彼らの万事の土台はキリスト、いわば生活の全面に 息づいていた/まさに「キリストに」というより「キリスト を」生きると言えるような信仰者の群れであった。
B.「信仰は」教会とそれに関わる時・場合、「生活は」まった く別という二元的になってはいないか。どうしたら実生活の 中に、キリストが中心に生きている信仰となるのだろうか。

W.しっかりと訓育されている群れ(24〜26)(23)
『彼はりっぱな人物で…・。/バルナバはサウロを捜しに・・ ・・行き‥・彼を連れて来た。/・・‥まる一年の間、彼らは 教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。』
この教会は、単に熱烈、無心な信仰者の集団ではなく、良き器= バルナバとパウロによって、しっかりと「教えられ」たのです。
A.真実な明快単純な信仰が、入信・信仰生活の土台・基礎であ るが、加えて健全な教え・指導と良き指導者への服従が大切
B.現代において、指導者への絶対的服従によるカルト集団と、 反対にキチンとした訓育のない自由勝手な信仰者集団の双方 が問題になっている。頭ばかりではいけないが、種々の教え が乱れ飛ぶ中で、確たる理論に立つ健全な信仰と指導の必要

おわりに
◎(次週さらに続くが)アンテオケ教会の姿は、具体的に私たち の群れ、一人一人への大きな模範であり、チャレンジである。
◎私たちは、小さな群れである。しかし世界には、日本には 小 さくても、困難な中にも、恵まれた群れがある。私たちも、主 の期待と導きが変わらずにあることを確信し、高過ぎると諦め ずに、この高嶺を目指し、聖霊の御助けを信じ一歩一歩前進し ていこう。まず「恵みの見える群れ」というチャレンジからは じめ、祈り求めていこう。