礼拝メモ

2009年4月12日   イエスご自身が近づいて、ともに歩いておられた
ルカ24章13〜35節

・・はじめに・・
□二重の意味を持った礼拝
(1)全世界の聖徒・教会とともに、主の御復活を寿ぐ主の日
   種々の立場(離任・新任/迫害・貧困下など)の教会を
   種々の状況(病・高齢・信仰=教会を離れている方など)
   にある兄姉を心に覚えよう
(2)高島牧師ご夫妻の離任/柏木、竿代牧師の就任の礼拝
   *就任に際しての思いは、今後の機会に述べることにし、
   今朝は高島牧師・竿代牧師の共通の恩師岩城牧師の船橋就任の
   説教題を想う「弱気に誇る奉仕」(Uコリント12章9・10)同じ思いである
竿代牧師の当分の礼拝講壇の主題:26日から《据えられた土台の確認と前進》に導かれた −高島牧師ご夫妻の30年の心を注ぎ出して据えられた土台を、改めて確認し、 さらに前進を期したい
高島牧師ご夫妻と当教会の愛兄姉の心中は(昨年軽験したので〉リアルに実感できる
慕わしい思いを抱くのは当然だが、それを霊的前進・成長の動力に変えていただこう。 それが、最高の応答−原始教会のように「危機・転換期こそ前進の時に」と祈ろう
□この二意の意義を持つ朝、ルカ24章「エマオの記事」が導かれた。
【1】失意により心閉ざした弟子
(1)ふたりの弟子の姿・状況
本来なら心が喜び死踊るべき主の復活の日、エルサレムを離れ、エマオに、
話し合いながら向かっていく二人の弟子の姿を想像しよう
@空しい会話=
単なる人間レベルの話合いからは、前進的なものは何も生まれず
(14〜15)『この一切の出来事につき、話し合い論じ合っていた』
A暗い歩み=
これ以上ない暗い、悲しい、トボトボとした歩みをしていた二人
(17)『・・・すると・・・二人は暗い顔つきになって立ち止まった』
(2)失意の原因
@愛する方との別れ=悲しい・重い心
A希望・期待が裏切られたこと絶(失)望・失意
(17/19〜24)『暗い顔つきになって−』『この方は行い・言葉に力ある預言者でした。
それなのに・・/この方こそ・・贖って下さると望みをかけていました・・女たちが、
私たちを驚かせました。・・イエス様は見当たらなかったというのです。』
(3)失意の結果
@閉ざされた目(心)/不信仰→何という悲劇を生むか
(13)『ちょうど、この日』=復活の日であるというのに
(16)『イエスだとはわからなかった』−主が近づき、同行して くださっているのに、『二人の目はさえぎられていて、イエス だとは、わからなかった』
(22〜24)『御便いたちが、イエスは生きておられると告げた/仲 間の何人かが、女たちの言った通り、イエスは見当たらなかっ たと言うのです』−明確な証言があるのに、否定的見方のみ
A使命からの逃避
(13)『エルサレムから、エマオへ』=使命・奉仕の場所なのに −【1】と【2】の弟子の対照的な姿、その変化の要因は何なのか?

【2】恵みにより心燃やされた弟子
(1)第1段階
@優しい同行者・理解者としての恵み
主からの接近、しかも歩調を合わせて歩まれた。
(15)『ご自身』から『近づいて』『ともに・・歩いて』くださる。
忍耐と理解に基づく接触をされた
(17/19)『その話は、何のことですか?/どんなことですか?』 一正面から責めたり。身構えたりせず、近づいてくださる受肉の主
Aその結果、弟子たちは−
正直に何もかも打ち明けることができた
人の話し合い、慰め合いからは、真の前進は生まれて来ない。
(2)第2段階
@厳かな、活きた御言葉の語り手・解明者としての恵み
愛ゆえの厳しい指摘をされた。
『ああ、愚かな人たち。・・信じない、心の鈍い人たち』
御言葉の直接的な説き明かしをされた。
(26〜27)『「キリストは必ず・・苦しみを受けて、それから彼の栄光に 入るはずではなかったのですか。」それからイエスは、 ・‥聖書全体の中で、ご自分について書かれてある事柄を、彼ら に説き明かされた』
Aその結栗、弟子たちは−
信仰に燃える器に変えられた。
(32)『道々お話になっている間も聖書を説明=解き明かしてくださった間も』 『私たちの心はうちに燃えていたではないか』
−御言葉の持つ特別な力/主が語りかける時に起きる力と恵みを、 お互いは、どこまで経験しているだろうか?
(3)第3段階
@豊かな祝福者としての恵み
変わらない祝福の祈りをされた
(30)『主イエスは、パンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された』
−主は常に変わらない真実をもって臨まれる。そう認識せているか
Aその結果、弟子たちは−
全く新しい開眼を経験した
(31)『それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。』
再び使命に燃える
(33)『すぐさま』(夜なのに)『二人は立ってエルサレムに』帰る
証詞の器に変えられた
(35)『彼らも・・億であったこととイエスだと分った次第を話した』
終わりに=
□送別・離別の礼拝の朝/愛する方々との別れに万感の思いがあろう、 当然のことである/小僕にも数々の心裂かれるような経験があった。
□この朝、主は特別な御愛をもって、愛兄姉に、離任され新任地に向 かわれる牧師ご夫妻に「生ける主」として近づいてくださっている。
□弟子が復活の主との「新たな出会いりを経験したように・臨在の主・ 復活の主を、この時、新たな信仰の眼をもって見上げ、新しいキリ スト経験を与えられて、教会も個人も、踏み出す好機となるよう。