| 2009年3月8日 十字架と聖霊 |
| Iコリント2章1〜16節 ・・はじめに・・ 本書は、パウロが第3回伝道旅行の時、エペソに滞在していた期間に書かれた(AD55 〜56年)。本書では、教会が成長するプロセスで直面する、具体的な問題を次々に取り上 げて、実際的な警告を与え、励まし、教え導いている。ただ主題は何かと言えば、一つの中 心的聖句を選ぶとするなら、1章9節の御言葉が最も適切だと思われる。すなわち、イエス 様との交わりに入れられた教会(キリスト者)の生き方としての礼拝である。主キリストと の交わりに生きる教会の礼拝を見るとき、礼拝の源泉・場・目的・生活・本質・基盤・実践 が、本書の実際的課題に即して展開されていることに気づく。 1〜4章は、神の召しの事実と十字架に生きる教会、福音の本質を説き明かしている。 【1】 十字架 @ 十字架のことば(1章18飾) 十字架のことばは、具体化された神の真理、十字架の死にはめ込まれた真理であり、声明 であり、啓示の真理である。それゆえ「滅び行く者」にとっては「愚か」である。つまり「滅 び行く者」は、十字架のことばを、でたらめなもの、ばかげたもの、愚かなものであると扱 うがゆえに、滅ぶのである。しかし、救いにあずかった者には、神の力(デュナミス)が宿 る。「力」とは、活動するもの、脈打つもの、結果を生むものである。 A 十字架につけられた方(2章2節) パウロは、十字架を神の証し(奥義)として強調した.彼は、十字架を抜きにして、主キ リストを単なる知恵・霊とする人々がコリント教会に現われ、他の人々にも影響を与える危 険を感じていた。彼は、十字架につけられたキリストを、権威!をもって宣べ伝えた。 【2】 聖霊 十字架はキリストの最高の栄光である。キリストが『父よ。時が来ました。あなたの子 があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わして下さい。』(ヨハネ17:1)と祈られ たことが成就した。「キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげ になったその血は…」(ヘプル9:14)と、御霊はキリストを十字架に導かれ、十字架は キリストに王座をもたらした。それは、私たちにキリストの御霊を分け与えるために、御霊 の満たしを受けるためだった。だから、生まれながらの人間(動物的人間)は、御霊のこと を悟ることはできない。 主キリストが天に帰られ、イエスの御霊、すなわち、聖霊がともに降り、弟子たちに注が れたように、私たち一人一人にも聖霊が注がれ、聖霊による賜物が与えられる。「神が私た ちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です」(Uテ モテ1:7).聖霊は、大胆の霊、力の霊、愛の霊、慎みの霊である。またパウロは、「御霊 はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれる」(10節)と断言する。 <結び> @この世は神の知恵であるキリストの十字架を認めることができなかったこと、また、この 世の人は神のみこころを知りえないことを確証する。 A十字架の福音こそ、神の御計画の内容であり、神の知恵であり、神のみこころの鍵である。 B私たちは、キリストとともに十字架につけられ、罪に死に、御霊によってきよめられる。 |