礼拝メモ

2009年1月18日   この時のためであるかもしれない
エステル4章1〜17節

・・はじめに・・
聖書66巻のうち、女性記としてはルツ記とエステル記の2書があり、前書には「没落と 貧苦の中での神への信仰」、後書には「悪の力と存亡の危機の中で見えざる神への信仰」が 記されている。

【1】 モルデカイの苦悩と冷静沈着
モルデカイはハマンの陰謀の一切を知った。同胞が11ケ月余りで根絶やしにされるとい う恐ろしい法令が定められたことを蘭いた(3:13)。そして彼は、自分がハマンに対し て平伏しなかったことがきっかけであったことを知った。彼個人の責任で、彼の民族全体が 消滅への道をたどることになったのである。当時の人々の悲しみや怒りは、1〜2節に表わ れている。モルデカイは苦悩の中に落とされながらも、慎重に事を進めようとしていた。そ こには彼の冷静沈着ぶりがよく現われている。彼は悲哀を表わしながら、可能な限りエステ ルに近づき、コンタクトを取ろうとしていた。
一方エステルは、侍女たちと王の宦官からモルデカイの状況を知り、さらに自分に仕えて いるハタクを遣わして、その事情を探らせていた。そこでモルデカイは、8節のような内容 をハタクに託し、エステル白身の民族のために、王に憐れみを求めるように、命じた。モル デカイはペルシャ王妃であるエステルに、ユダヤ人の一人であることを自覚させようとした。 さらには、今は神の民存亡の危機であり、この事態だからこそ、エステル自身に神の民とし ての使命があるということをも自覚させようとした。

【2】 エステルの冷静な行動と神への嘆願
モルデカイは、エステルが困惑し、ためらうのを知り、14節の言葉を送る。「今この時」 なのかもしれない。今やこの間題に関われるのは、唯一エステル以外にいないのだと、モル デカイほ強くエステルに迫った。神の名は持ち出していないが、背後ですべてを支配してお られ、ある人を召し、ある人を必要な場に配置して、愛する民を勝利と祝福へと導くお方の 存在を意識している表現が、「もしかすると、この時」である。ヨセフの生涯においても、 同じような表現がある。創世記45章5〜8節をご覧いただきたい。
ついにエステルは立ち上がった。神の民のために、自分の命を犠牲にすることを決心した のである。「断食」を行なうということは、明ちかに神への嘆願である。執り成しの祈りへ の集中と熱心を高めることが、断食の目的である。
エステルは、「死にます」と、命をとして祈っている。私たちも、エステルのようにお互 いに執り成しの祈りを必要としている。「祈ってください」と!
結果はどうあれ、モルデカイはエステルの信仰者としての決断をどんなにか喜んだことで あろうか。彼女は、歴史のすべてを貫き支配する神の摂理を認め、自分がペルシャ王国に来 たという事実から、自らの存在の意味を見出そうとした。そして王の法令にはそむいても、 神の法令には従ったのである。それは、主イエスが「神のものは神に返しなさい。」(マタイ 22:21)と言われたことと同じ生き方である。「キリストは、私たちのために、ご自分 のいのちをお捨てになりました。」(Iヨハネ3:16)と、私たちは十字架によって愛がわ かったのであるから、兄弟姉妹のためにいのちを捨てるのである。
17節からは、モルデカイは養父としてエステルに命じ、エステルは王妃としてモルデカ イに命じた.おのおのの立場で神の最善を信じつつ、神の民としての使命を果たそうとした のである。
<結び>
@ 神の摂理を信じる信仰者となろう。
A 神の栄光を現わすために、生命を神に委ねよう。