| 2009年1月11日 信仰の指導者、完成者であるイエス |
| へブル12章1〜11節 ・・はじめに・・ 2009年という新しいスタートを切った。この一年も信仰の馳せ場を走り抜くことを願 い、また、走り抜くために大切なことを聖句から学んでいこう。 1月4日午後のこと、私は徳島駅伝の最終ランナー達が走って来るのにたまたま居合わせ た。トップは北京五輪にも出場した土佐礼子選手だった。駅伝マラソンの選手達を見ながら、 信仰生活もまたマラソンコースであることを感じた。 【1】 過去の記録の大切さ 「こういうわけで」という言葉で始まっているが、これは11章全体を指している。どんな 風に走り抜けてきたか。困難や辛いこともあり、どうしようかと思うこともあっただろう。 プロ野球選手やマラソン選手も、過去のデータや記録を無視はしない。データに基づいて、 どう競技するか、どう走るかを考えるものだ。11章は「信仰によって」が繰り返されている。 11章の信仰の先輩たちが馳せ場を走り抜くことができた秘訣は、やはり御言葉による信仰 である。私たちもまた、救い主を信じる信仰で走り抜こう。 【2】 身支度する 兢争するには、ふさわしい身支度があるはずである。泳ぐ時、山登りの時等、それぞれに ふさわしい身支度があるように。私たちの信仰がランこニングなら、軽い身支度でも良いだろ う。過去にどんな栄光があっても、忌まわしいことがあっても、それら過去の様々なことを 引きずって走らない。「もうかなぐり捨てなさい!」。ここに「いっさいの重荷とまとわりつ く罪とを捨てて」走れとある。「エーイッ!」「ヤーツ!」と、前進に役に立たないと思った ら、思い切りよく捨てることである。 【3】 コーチに従う 競技する者は、自分の力を高めてくれると思うコーチを選び、そのアドバイスを聞くもの である。私たちは、「信仰の創始者、信仰の完成者」(2節)であるイエス様を仰ぎ見ながら 走ることだ.まさにイエス様はベストコーチであられる。イエス様は「はずかしめをものと もせずに十字架を忍び」とあるように、どんなに辛いことでも走り抜かれた方であられる。 そして、実に信仰の指導者、導き手でもあられる。主は信仰の走り方のストーリーを、私た ち一人一人について考えていて下さる。 【4】 十字架を耐え忍ぶ 信仰の生涯は、いつも順調なことばかりではない。時には歯を食いしばって頑張らなけれ ばならない時もあり、胸突き八丁という苦しい所に差し掛かっている時もある。ただひっく り返って寝ていれば信仰が全うされるとは、聖書は教えていない。忍耐することの中に多く を学ぶ。主イエスの忍耐、それは、罪人の痛みを感じて受けられた十字架である。そこには 父なる神の愛の涙があることを忘れないでいただきたい。 【5】 ゴールを目指して イエス様が走り抜かれたのは、自分の前におかれた喜びのゆえだった。そしてついに「神 の御座の右に着座された」のである.徳島教会でも一人一人がゴールを目指して走っている。 ウサギとカメの話がある。おそらくカメはウサギを見ないでコツコツ進んで行って、最後に は勝利を得たと思う。私たちは、自分自身を他の人と比べる必要がない。自分は自分である。 only oneである。ゴールを見つめよう。ゴ"ルはイエス様である。各々がそのゴー ルに達することが信仰の勝利である。 <結び> そのように走る中で大切なことは、 @ 罪と戦って勝利することである。 A 霊の父の扱いを受けて、聖められることである。 |