礼拝メモ

2009年1月4日   神の奨励と祝福の約束
ヨシュア記1章1〜9節

・・はじめに・・
(私は新年を迎えて、詩篇46篇が心に留まる)
今日の世界の腐敗ぶりはどうだろうか。空売り投資が株の暴落や原油価格の乱高下などを 招き、株式市場は一気に氷河期に突入した。一方青い地球では、有害物質の垂れ流しによる環境汚染、自然界の破壊。日本では産地偽装、無差別殺人、10年連続で3万人を超す白殺 者数。世界ではテロ、戦い、飢饉、内乱など。
この世は「水が立ち騒ぎ、あわだち、その水かさが増し」てと、詩篇の作者は言う。彼は 今日の私たちと同じように時代の激動に見舞われながらも、「神はそのまなかにいまし…神は夜明け前に助けられる」と、その信仰を微動だにしない。なぜなら、「万軍の主はわれらとともにおられる(インマヌエル)」からだ(詩篇46篇7、11節)。
モーセを思い起こそう。モーセは「すべての人にまさって柔和な人」で、私欲のない清廉 な人であった。彼は同胞のために一生をささげた。実際、安楽な高位を捨てて同胞とともに苦しみ、しかも他人の悪い行ないにも報復しなかった。彼の信仰は神の言葉に従順だった。
特に彼は民の罪の赦しを主に願い、さらに「もしもかないませんなら、どうかあなたがお書きになった書物から、私の名を消し去ってください。」(出エジプト32:33)とまで言った。
こうした実に偉大な指導者モーセの死去は、民に大きな動揺を与えたことだろう。しかし 後継者は存在していた。

【1】 神の奨励
ヨシュアは、出エジプトの始めからモーセの従者として歩み、40年間絶えずモーセを助 け、十分な訓練を受けていた。それでも今!再び主の励ましを受けなければならなかった。
(2、3節)「立って」「渡り」「行け」「踏む」は、どれも進行による前進である。カナンの地は、乳と蜜の流れる聖霊の生涯の模型であり、現実的にはローマ8章の聖霊の生涯である。
(5〜7節)「強くあれ、雄々しくあれ」(6、7、9、12節)であるためには、いかに勇 気が必要であろうか。その勇気は、人間から出てくる政治力、軍事力、経済力、科学力ではない。神がともにいてくださる(インマヌエルの神)という神の臨在と同行である。ここで言われている大いなる約束とは、「立ちはだかる者はいない」(5節)、「大胆さで使命の継続」(6節)、「従うことによって得られる繁栄」(7節)の3つである。

【2】 祝福への約束
モーセの死はヨシュアには大きなショックであった。また民をカナンに導き入れる大任を 命じられていたヨシュアは、特別な神の力を必要としていた。それゆえ神は使命とともに、それを遂行する力も授けてくださった。そのためには「律法を守り、行なえ」「律法の書を、口から離さず、昼も夜もそれを口ずさむ」(8節)ことである。つまり、聖書を読み続けよ。御言葉が血となり肉となるように。≠ニいうことである。ここに詩篇1篇の内容を見ることができる。アーメン。
9節で再び信仰の激励と祝福の言葉が繰り返される。神の国の働きは、神からの勇気をい ただくことから始まる。それゆえ年頭の決意は非常に大切である。前進の決意に満ちた内容は、ヨシュア5章、ピリピ3章、ヘプル11章などと比べて読んでいただきたい。霊界の勝 利か敗北かの鍵は、決して難しいものではない。お互いに恩寵の手段を用い、信仰と服従をもって使命の道に進む者を、民も私たちも祝福する。
<結び>
@ この1年も聖書を読み続けて、信仰の前進をはかろう。
A この1年も御霊の干渉を受けて御霊に従い続けよう。