礼拝メモ

2008年12月7日   マリヤの賛歌(マグニフィカート)
ルカ1章46〜55節

・・はじめに・・
アドベントの第2週に入った。そしてすでに、師も走り回るという師走にも突入している。 私たちは、聖書通読やアドベント霊憩を通して、心の余裕を持ちたいところである。さて聖 誕講壇第1回では、天使ガブリエルの賛歌を学んだ。突然ガブリエルはマリヤに、おめで とう、恵まれた方。主があなたと共におられます。≠ニ言った。「おめでとう、マリヤ」は ラテン語で「アべ・マリヤ」であり、今では有名な賛美歌の形になっている。
ところでベンゲルが「彼女(マリヤ)は、恵みの母と呼ばれているのではなく、恵みの娘 と呼ばれているのである」と語っているように、マリヤは神の恵みを受けた者であって、授 与者ではない。マリヤは信じたからこそ祝福された、と言われているのである。彼女は聖霊 に感じて処女懐胎を見抜き、認識した。そして神に向かって感謝し、賛美の声をあげる。
【1】 神の恵みへの個人的感謝(46〜48節)
マリヤの賛歌は、Iサムエル2章1〜16節のハンナの賛歌によく似ている。また、マリ ヤの賛歌は、信仰告白の頂点でもある。なぜなら彼女の信仰の賛歌は、「たましい」と「霊」 により、主を崇め、神を喜びたたえているからである。「たましい」と「霊」は、2分離と いうよりも2構成であり、互換的で、本質的には同一である。しかしあえて両語を区別する なら、「たましい」は''人間の側に向いた人間の本質''、「霊」は"神の側に向いた人間の本 質''ととらえることができる。
マリヤの賛歌は、神は「卑しいはしため(女奴隷の意味)」である自分に目を留められ、 救い主を自分の胎の中に身ごもらせて下さり、どの時代になっても「幸せ者」と呼ばれる者 にして下さるという、神からの最高の恵みを受けたがゆえの大感謝であった。アーメン。
【2】 主を恐れかしこむすべての者に及ぶ神の恵みと現世の価値の逆転(49〜53節)
マリヤは「神の力、神の聖さ、神のあわれみは」と、神の性質、属性、働きを賛美した。 また、この箇所で特に語られていることは、信じる者への恵み、とりわけ低い、飢えた人々 への神の顧みである。
(51節)主イエスを信じていくことは、高慢の死に他ならない。それはなぜか.キリスト の強烈な光に照らされることで、自分の汚さを見、深く自らを恥じることができるからであ る。キリストは、本当の自分の姿を見ることを可能にさせて下さる方である。
(52節)キリストは、この世のレッテルや地位に終わりを宣言なさる。どんな人間でも役 に立たない者はいない◇そのような者たちのためにキリストは死なれた。つま、りこの箇所で は、神の前での人格的・内的実質の平等が述べられている。
【3】 イスラエルの救い(54〜55節)
創世記17章参照のこと.ガラテヤ3章16節「約束は、アプラハムとそのひとりの子孫 に告げられました。…その方はキリストです。」とあるように、旧約のメシャ待望は、現実 に具現化された。すなわち受肉降誕である。
<結び>
@ 人類は、「主を恐れかしこむ者」「低い者」「飢えた者」と、「心の思いの高ぶった者」「権 力ある者」「富む者」とに二分される。それにもかかわらず、美しいマグニフイカート は、実に起爆力に富んだ賛歌である.なぜなら、クリスチャン各個人に一つの霊的革命 を生み、ついで世界に新しい生命的革命を呼び起こすものだからである。
A 「マダニフイカートは、世界で最も革命的な文書である。」(ジョーンズ)