礼拝メモ

2008年11月9日   今は恵みの時、今は救いの日
コリント第二6章1〜10節
…はじめに・‥
文脈から、5章20節と6章1節はつながっている。ここで「懇願」という御言葉に注目 していただきたい。パウロは、キリストの使節として、同時に神とともに働く者(同労者) としての権威をもって、コリント教会の兄弟姉妹たちに懇願している。5章20節はパウロ を通しての神の懇願、6章1節は神とともに働く者としてのパウロの懇願である。
【1】 恵みの時、救いの日(1〜2節)
パウロは一貫して神との和解の福音を宣べ伝えた.神との和解(講和)の条件は、すでに 神がお膳立てしてくださっていた.すなわち、「神は、罪を知らない方(キリスト)を、私 たちの代わりに罪とされた」のである。神は、罪が存在しないキリストに、私たちの身代わ りとして私たちの罪を背負わせ、また私たちの罪のためにキリストを、罪そのもの、罪人、 罪の魂とみなして、それにふさわしい罰(十字架)を与えられた。キリストの受けられた処 罰のゆえに、私たちは罪がなかったかのように扱われ、義とされた者として扱われ、全き放 しを受けるのである。この完成された嬢罪、和解(講和)の条件は、私たちが受け入れるか 拒否するかにかかっているのだ。パウロはイザヤの言葉を引用して、今や!救いの分岐点に 立っていることを語った。しかも、「恵みの時、救いの日」はいつまでも続くわけではない。 ノアの洪水の出来事は、その警告ではないだろうか。
【2】 神の僕として自己推薦(3〜7節)
パウロは自分を推薦するのにユニークな方法を使っている。パウロは、人につまずきを与 えないで、すべての事に神の僕として生きていくためには、非常な忍耐の必要があり、また その忍耐は信仰によって養われ、そして苦難が前進力となり霊の恵みとなると語っている。
(1)9つの苦難(4〜5節)
@一股的な困難(悩み。苦しみ。嘆き。)、A特別な迫害(ムチで打たれる。入札 暴動。)、 B自ら課した患難(労役。徹夜。断食。)
どれ一つ見ても、決して楽なものではない。私たちはともすると困難に遭うと、早く脱出 したいと願ったり、長引くと自己憐憫にも陥るものである。パウロの積極的な思考を学ぼう。
(2)霊的恵みの数々(6〜7節)
純潔、真理の知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛(偽善的愛や自己中心の愛ではない)、 真理のことば、神の力、左右の手による義の武器(御霊の剣、神のことば)。
【3】 7つのパラドックス(逆説)(8〜10節)
〈外側・表面的〉 ⇔(内側・実質的〉
(人をだます者のようにみえる弁舌)⇔(真実)
(人に知られていない)⇔(よく、知られている)
(死にそうなほど弱っている)⇔(見よ、今生きている)
(神から罰せられているようで)⇔(殺されるまで罰せられない)
(悲しそうな様子)⇔(いつも心で喜んでいる)
(貧しい生活)⇔(多くの人を富ませるほどあふれている)
(無一文)⇔(全ての富を所有している)
これらはやせ我慢だろうか.パウロは自分を強くしてくださる生きた主の臨在のゆえに、 こうした逆説の告白を自然な心で行なったのである。人間的には敗北に徹していても、結果 的には勝利を獲得しているのである。
<結び>最頂点は「何も持たないようでも・・」という聖句であり、その前提条件は2つある。
@ キリストの十字架の経験をしていることである。
A キリストの復活の力に、心の営みを体得していることである。