礼拝メモ

2011年12月18日   『私のために来てくださった方』
ピリピ2章6〜11節 Uコリント8章9節

クリスマス・年末感謝礼拝
はじめに
神さまの深い恵みにより、本年のクリスマス聖日を迎えることができました。
またこの日は最終の主日でもあり、私たちは、年末感謝に溢れてこの場に集っています。
この年は、未曾有の震災、3月の東日本大震災に見舞われました。
この事のゆえに、格別な思いをもってこの年の締め括りを迎えているお互いでもあります。
このように、聖書に啓示されている終末のしるしをますます鮮明に見るにつけ、この時代に生命と使命を与えられいることの意義と目的を再認識させられます。
さて、さきほど朗読していただきました聖句は、クリスマスの記事そのものではありませんが、この節季にしばしば引用される聖句の一つです。
キリストの謙卑の姿と、「すべてのものがイエス・キリストを拝し、神を崇める」というキリストとその体である教会の使命が記されていることをも味わいつつ、この礼拝のためのメッセージをいただきました。
今朝は、クリスマスにお降りくださったイエス・キリストのお姿から、そのお誕生にあらわされた神さまの恵みと愛をお取次ぎするよう導かれています。

〔1〕特権と栄光を手放して
6節、「神の御姿である方なのに」…天地の創造者、支配者であられる神である方が、馬小屋に、そして私たちの心に住んでくださるために、人類の歴史の中に介入してくださった。
「神のあり方を捨てられないとは考えず」…直訳では、「神の在り方を、しがみつくべきものとは考えないで」、「あり方」とは、「神さまと等しくあるという特権と栄光」という意味だそうである。それも、喜んで捨ててくださったことを私たちは知っている。
キリストは、神と等しいという特権に全く固執しないで、それを放棄なさった。
7節、人としての性質をもって現れ 罪以外、人としての性質すべてを備えて誕生された。
主が御自分を無になさったとはどういうことか。それは、光の中に住む、光である方が、暗いこの世に来てくださったということ、また、父なる神と温かい交わりに生きておられた方が、憎しみや謀略が渦巻くこの世に暮らしてくださったということ、正義が支配する天に君臨しておられた方が、罪が支配する世に降りてきてくださったということである。
それは、神中心ではない人間の自己中心の罪の生き方がもたらす結果が、人々を滅びに至らせてしまうという切迫した状態にあるということを私たちに知らせてくださるためだった。
キリストは、このように、ご自分の特権と栄光を手放して、クリスマスに、この世に生まれてくださった。

〔2〕十字架の死を目指して
8節、イエスさまは、死を目指す道を、自発的に進まれた。降誕から死に至るまでの日々を、徹底的に従順に辿られた。
そして「十字架の死にまでも従われました」とあるように、肉体的、精神的な苦しみの伴った十字架を忍び、その従順を全うされた。
あるときイエスさまはこうおっしゃった。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるため」と。
罪によって、神さまとの関係を断たれてしまっている私たちを再び神さまと繋げてくださるため、イエスさまはいけにえとなって十字架にかかってくださった。
父なる神さまには、人類を罪と滅びから救い出す愛の計画があることを私たちに教え、その贖いの御業の完成を目指して生まれてくださったのである。

〔3〕この方への応答
キリスト、救い主の誕生は、旧約聖書に何度も預言され約束されていたこと。
私たちは、この方の誕生にあらわされた神の愛と赦しの招きにどのようにお応えすればよいだろうか。
多くの人々は、神である方が人となられ、私のために死なれたということに対して、あまりにも無感動ではないだろうか。
主イエス・キリストが受けられた不当な苦しみ痛み、責めの一切は、私の上に注がれるべきものだった。キリストは私の代わりにそのすべてを受け止め、十字架上で死んでくださることにより、私たちを解放してくださった。私たちの想像をはるかに越えて栄光に満ちた神さまが、罪にまみれ自分勝手に歩んでいる私たちのために、その一切を投げ出してくださった。
この箇所と同時にUコリント8:9が心に通ってきた。
Uコリント8:9、「私たちの主イエス・キリストの恵み」と記されている。私が富むために主はその特権とご栄光を捨てて、死を目指して人となられ、貧しくなられた。
私たちが富むために、すなわち、信じる事に、言葉に、知識に、熱心さに、愛に、恵みの業に、豊かな者となるために、主はこの世に来てくださった。
このことを本当に知った者は、ピリピ2:11にあるように、この口をもって心から「イエス・キリストは主である」と告白するだろう。
そして富む者となり、喜びの中を生きる者とされるのである。

おわりに
華やかなクリスマスの雰囲気の中で、私たちは、このクリスマスの中に十字架を見る者でありたいです。
私のために、神のあり方を捨て、十字架を目指して生まれてくださったイエス・キリストの深い恵みを思い、このお方を心の王座にお迎えして、真の喜びの日々を歩ませていただきましょう。