| 2011年7月31日 『コルネリオのもとに』 |
| 使徒の働き10章24〜44節 主イエスの福音を伝えた人々〔10〕 はじめに この10章からは、ユダヤ人から異邦人へと福音の扉が開かれてゆく様子が記されています。 異邦人の救いは旧約時代から預言されていましたが、当時のユダヤ民族としては、感情面で理解しがたいことだったそうです。 ペテロが、異邦人コルネリオのもとに遣わされた経緯と彼の証し、また、コルネリオがペテロを迎えるに至った様子と彼の回心の記事が、10章全体に書かれています。 聖書の中で、これほどのスペースを一人の人の回心の記事に使っているのは珍しいことです。 今朝はこの箇所から、異邦人に伝道したペテロの奉仕にあったものを読み取りながら、主の福音を証しする者の幸いを知らせていただきたいと思います。 〔1〕聖霊のご干渉…明確な導き 1節…コルネリオは、カイザリヤに駐屯するローマ軍の将校で、彼の属する部隊は、強力なローマ軍隊の一部として配置されていたひとつで、「イタリヤ隊」は、ほとんどがローマ人で編成されていた。 そのような環境に身をおいていたにもかかわらず、彼はどこかで神さまを知った。 2節…この「恐れかしこみ」とは、「真の神を礼拝する人」という意味で、偶像礼拝ではないことを示す。 「神を恐れ」とは、この神を、その律法などからよく知り、それらを破ろうとしなかったことを意味する。 彼は、神を敬い、町の人々を助ける立派な人物で、祈りの人であったことがわかる。その祈りと施しは神さまの前に覚えられていたことが、4節に書かれている。 また7節…彼の敬虔さは、全家族やしもべや部下にまで善き影響を及ぼしていた。 けれども、彼は新しく生まれる経験をしていなかった。 3節…そのような彼の、本当の求め、必要を神さまはご存知で、主は彼に幻の中で、ペテロを招くようにと語られた。→エレミヤ29:13 コルネリオは驚きながらも、言われた通りしもべを三人行かせた。 一方、ペテロにとって異邦人へ福音を宣べ伝えることは大変なことだった。 彼は、この働きのために、特別な神さまの導きを必要としていた。 9〜16節…コルネリオのしもべたち一行がヨッパに近づこうとしていた頃、神さまは祈りのために屋上に上っていたペテロに、あらかじめ幻を見せて、異邦人の一行を迎えられるように備えられた。 ペテロの心にまだ、異邦人と交わる準備がなかったから。その幻というのは、昔、ユダヤ人の社会で動物や鳥類の中でも、きよいものと汚れたものとを区別し、汚れたものとして分類されたものは、決して食べてはならないという定めがあったが、それらの汚れたものが、大きな布の中にいっぱい入れられて、天からつり下ろされてきたというものだった。 同時に、「さあ、これを食べなさい」と命じられた。ペテロはすぐに「主よ、私はいまだかつて、このように汚れたものは食べたこたがありません」と返事をしたが、三度も同じ幻を見せられ、「神がきよめられたものをきよくないと言ってはならない」と迫られた。福音が地の果てまで伝えられるために、聖霊によってなされなければならないことがあった。それは、使徒たちの心から、人をわけへだてする思い、恵みを独占する思いが取り除かれること。そして聖霊はそのことをしてくださった。 ペテロが「これはいったい何ごとだろう」と考えこんでいたちょうどそのとき、迎えの人々がやってきた。 19節…彼らの来訪も、ペテロは「御霊の声」によって知った。 そして20節…「ためらわずに彼らといっしょに行きなさい。」という明確な命令と、「わたしである」とのみこころを示された。 主は、主を信じる者、求める者を見つめ、それぞれの心の必要をご存知で、明確な導きを語ってくださる方。彼らの祈りや思い巡らしが主に繋がっていたように、また、主からの語りかけが、クリアに聞こえ、受け取れるほどに、日々 神さまとの交流が深められていたように、私たちも主と繋がった者でありたい。 ペテロは聖霊に促されて、カイザリヤへ向かった。 〔2〕聖霊のご干渉…喜ばしい結実 ついにカイザリヤに到着したペテロは、コルネリオの大歓迎の言葉(33節)で迎えられた。 人々は、「神の御前に出ている」という、みことばをきく態度に整えられていた。 44節にも彼らが「みことばに耳を傾けていた」ことが書かれている。聖霊のご干渉なくしては、このような整えをしていただくことはできない。 34節…そのような人々の存在を知り、ペテロは、来る前に見た幻の意味を知った。 そしてイエスさまの生涯と神さまがどんなに、すべての人を救いたいと願っておられる方であるかを真剣に話し始めた。 「神はかたよったことをなさらず」とは、神さまが審判のために二つの標準を持ってはおられないということ。神さまは、ユダヤ人が長い間考えてきたような、異邦人には恵みをお与えにならない方ではなく、だれでも、神さまの与えられた光に従い歩む者を、そのように見てくださり、正しい判断与えてくださる方。 彼が語ったことの主旨は、36節…「イエス・キリストはすべての人の主です」、 そして43節…「この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる」ということだった。 聖霊によって遣わされたペテロが、聖霊によって彼を迎え入れたコルネリオたちに、「すべての人」「だれでも」とあるように、異邦人の彼らにとって最も必要な言葉を用いて、イエスさまによる救いを証しすることができたことは、喜ばしい結実。 そして、44〜47節…そのメッセージを聞いた人々に聖霊のご干渉があり、彼らは救われた。そこに驚くほどの恵みを知った者たちの、喜びの讃美が溢れた。 おわりに 主を信じ、主と繋がらせていただいている私たちの生涯にも、神さまは、このような、聖霊のご干渉を与え、私たちを強め変えてくださり、主の恵みをとりつぐ管として用いてくださいます。今週も、喜び進みましょう。 |