礼拝メモ

2010年12月19日   『クリスマスに見えるもの』
ヨハネの手紙第一 4章9〜19節

はじめに
このヨハネの手紙は、年老いた使徒ヨハネによって、紀元90年に、おそらくエペソで書かれたものだそうです。
ヨハネは、この手紙のほかに第二第三の手紙、ヨハネの福音書、ヨハネの黙示録を書きました。
彼は、この手紙を書いたわけについて、それは、キリストを信じた者たちが、永遠のいのちを持っていることを知るため、わかるためだと言っています。(5:13)ですからこの手紙には「知る」という言葉が一貫して用いられているのです。
また、それ以上に、この書には、「愛」という文字が何回も出てきます。
この「知る」と「愛」という言葉が示すように、私たちが神さまの愛、その恵みを知り、それによって主を愛して生きるということが語られています。
ヨハネは、この手紙の中で、クリスチャンのことをテクニヤ(生まれた者)と言っていますが、すでに、この「生まれた者」と呼ばれている人々はもちろん、私たち人間は、永遠への思い、神さまを知りたいという願いを自ら気づいているか否かに関わらず持っているものです。
今朝は、福音書のクリスマスの出来事の記事ではなく、この箇所から、「クリスマスに見えるもの」と題して、「ここに」あらわされているクリスマスの意味と神の愛を知らせていただきたいと思います。

〔1〕神の愛の本質
使徒ヨハネは、「愛の使徒」と呼ばれた人。7節「愛は神から出ている」8節「神は愛だからです」、また16節「神は愛です」と、神が愛そのものだとヨハネは記している。
聖書は、神は愛に溢れたお方であることとともに、愛の源泉、愛そのものだということを語っている。
そして、そのお方が、私たちひとりひとりを見つめていて下さり、その愛を私たちに向けていてくださる。
9節「神の愛が私たちに示された」10節「神が私たちを愛し」とあるとおりである。クリスマスには、愛そのものである神さまとその方の眼差しが私に向けられていることが見える。

〔2〕神の愛の具現
9節「神はそのひとり子を遣わし」とある。この愛の具現を絵にするなら、それは、約二千年前のユダヤの町ベツレヘムの馬小屋、冷たい洞穴の中に、ヨセフとマリヤ、そして飼葉おけの中に布にくるまれて寝かされている一人の赤ちゃんを描くことができるだろう。
また、この御子は10節に「なだめのそなえものとして」遣わされたと書かれている。
この愛の具現のシーンは、最初のクリスマスから約33年後のカルバリ、ゴルゴタの丘に立てられた十字架の絵となるだろう。
罪によって、神さまとの関係を断たれてしまっている私たちを再び神さまとつなげてくださるため、イエスさまはいけにえとなって十字架にかかってくださった。
神の愛の具現は、神が御子を遣わされたことと、御子のいのちを与えてくださったこと。
10節に「ここに」と指差されているのがこの愛の具現。そして、ひとりごさえ差し出されたほどのこの愛は、神さまの側から、一方的な恵みによって、私たちに注がれた。

〔3〕神の愛の完成
このようにして示され、私たちにもたらされた神の愛が、12節「私たちのうちに全うされる」17節「私たちにおいても完全なものとされた」と記されている。
「私たちにおいても」この語は、神の愛と私たちの愛がひとつになるという意味合いだそうである。ただ「私たちのうちに」という意味ではなく、神の愛が私たちを通して流出する、放出しているというような表現らしい。言い換えると私たちが、神さまが愛されることを愛するようになるという恵み、私たちが出会うことの中で、神の愛によってすべてを吸収し、制御していただくという生涯の原則をいただいて生きるということ。そしてそれは、私たちに平安な納得と喜びをもたらす。
17節「完全なものとなりました」という語はギリシャ語の完了形。つまり、「愛が私たちのうちにおいても完成されました。
そして、いまもそうです」ということだろう。完全なものとされた。
神の愛と同質の愛が、私たちのうちに溢れ、流れ出るというそのすばらしい事実は、私たちの努力や功績によってではなく、神さまによって与えられたものだと語られている。

おわりに
このクリスマス聖日の朝、私たちは共に、愛の源である神さまを知り、その方がどのようにして私たちへの愛を具体的に示してくださったか、そして、その神の愛が私たちの内からも溢れ出すということを知りました。
この深い御愛の前に自らを置くとき、罪がわかり、悲しみと苦悩を知ります。
しかし、この神さまが、与えてくださった御子イエスさまによって、赦されるということを信じこの方を受け入れるなら、私たちは本当に主を知る者となることができるのです。
ある先生が、「イエスさまは、私のために十字架を目指して生まれてくださった」と表現されましたが、10節の「ここに」と書かれているクリスマスに見える神さまの愛が、今朝お一人一人の心に確かなものとなり、その喜びが溢れますように、心からお祈りいたします。