礼拝メモ

2010年10月3日   『おどろくばかりの恵み』
使徒の働き26章9〜18節

はじめに
この箇所は、サウロ(パウロ)という人が自分の回心の経験を、アグリッパ王の前で語っている記事です。
同じ使徒の働きの9,22章にも彼の救いの証しは記されています。
今朝は、この箇所と、アメイジング グレイスの作詞者ジョンニュートンの証しにも触れ、主に出会い、その恵みを体験し救われた彼らの経験を見ながら、イエス・キリストの「おどろくばかりの恵み」について知らせていただきたいと思います。

〔1〕主に出会う前のサウロ(回心前の彼)
サウロ(パウロ)は新約聖書のローマ人への手紙からピレモンへの手紙までの13書簡の執筆者。
彼は小アジアのキリキヤ(現在のトルコ地方)の都タルソに誕生し、長じてユダヤ教の律法家となった。非常に優秀な器。→22:3,ガラテヤ1:14,ピリピ3:4〜6
彼はユダヤ人でしたが、同時にローマの市民権も持っていた。律法の遵守によって得られるとされる義を追い求め、そのためには、努力を惜しまなかった人。
彼が律法学者として活躍していた頃に、主の弟子たちがその福音の教えを拡大していた。サウロは、その教えに猛烈に反対し、迫害者の先頭となって、神の御旨に対する反抗をしていた。9節のような信念をもって、10,11節にあるように、教会とクリスチャンに対する狂暴なまでの迫害を具体化していった。
キリストの弟子の一人ステパノを攻撃することに加わり、彼の殉教の場面にも居た。
このような、サウロがついに、主イエス・キリストに出会ったのは、なおも、クリスチャンを迫害しようとして向かったダマスコへの途上だった。

〔2〕主と出会ったサウロ(彼の回心経験)
13,14,15節
彼は、主からの語り掛けを受けた。それは、彼への個人的な語り掛けで、主は彼の名を呼ん でくださった。また、それは、罪を知らされるとともに、彼の心の奥底にあった痛み、葛藤 さえも知りつくしておられた主の御存在とご愛を知る経験であった。
救いの経験とは、単に癒された、包まれた…ということ以上に、この主ご自身による語り掛 けから知る、深い認罪とそのような者が赦されたという恵みの体験であるといえるだろう。

「アメイジング グレイス」の作詞者、ジョンニュートンという人の回心経験も、明確なもの だった。です。ジョンは、幼児の頃に母親を亡くし、寂しくすさんだ少年時代を過ごした。 毎日遊びまわり、とうとう学校を中退して船乗りになった。彼は次々と船を乗り換え、悪の 道へと深入りしていき、やがて奴隷を売り買いして運ぶ船の船長となった。そんなある日、 航海中、彼の船は激しい嵐に襲われ、荒れ狂う暴風雨の中で、死を覚悟するほどの危険にさ らされたジョンは、幼い日に教えられていた神に、生まれて初めて自分から助けを求めた。 そして嵐が治まったとき、彼は、母の形見の聖書を開いた。聖書を読むうち、犯してきた数々 の罪を思い起こさせられ、自らの罪深さに嘆きながら「神様、こんな私でも救われますか」 と祈った彼に、主は「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦されました」と、彼が手にし ている聖書を通してお応えになった。そのみことばを、ためらわずに受け取り信じたジョン は、その日、救われた。彼は、この救いの経験と救い主の恵みを、「アメイジング グレイ ス」…おどろくばかりの恵み と歌った。後に、彼は、牧師となって、多くの人々にこのキ リストの恵みを伝える者と変えられた。
 
〔3〕主と出会った後のサウロ(回心後の彼)
16,17,18節
彼は、自分を打ち倒し、心を砕いて徹底的に扱ってくださるだけでなく、彼を赦し、立ち上 がらせ、彼に使命を与えてくださる主の恵みを体験した。
サウロにとって、これは、ほんのひとときの出来事だったと思われるが、彼のそれまでの歩 みや知識は、この時出会ったキリストを中心に、またたく間に再構成されたのだと感じる。
サウロ(パウロ)の数々の言葉と後の生涯が、この回心の確かさを証ししている。 →Tコリント15:8〜10「…神の恵みによって、私は今の私になりました。」

おわりに
ここに集われたおひとりひとりが、主イエスさまと出会われ、この「驚くばかりの恵み」を「私に対する神の恵み」として経験なさり、その中に生き、広げる源泉となられることを祈り願うものです。