礼拝メモ

2010年6月6日   『その恵みが、私に…』
エペソ1章3節〜14節

はじめに
教会では、「恵み」という言葉をよく使います。クリスチャンが、この言葉を口にするとき、 それは、「神様の良善が、受ける価値のない者に無条件に注がれること…」を意味します。
さて、この箇所には、神さまの永遠のご計画、ご目的について述べられていますが、そのなかほどにある1:7にうたわれている「恵みの確信」について、3つの点から見て行きたい思います。

〔1〕確信の内容
それは、「罪の赦しを受けている」という確信。
神さまが人に与えてくださる、数えがたい恵みの中で、最も中心的で重要なものは、 「罪の赦し」である。
それは、いつ神さまの審判の前に立たされても大丈夫なものとなること、きよい、正しい神さまの御前に、恐れなく、愛において傷なく立つ者とされるということ(4節)。

〔2〕確信の根拠
それは、神さまが提供してくださった恵みであるから。
この恵みの実現について描くために、パウロはイエスさまの御名をいろいろな言葉で、記している。→3,4,5,6,7,9,10,11,13節
このように、キリストにあって、神さまが私たちに赦しの道を開いてくださったので、私たちは、この赦しの恵みを確信することができる。
この確信は、私たちの努力や功績によるのではなく、「御子の血による贖い」、つまり神のひとり子イエスさまが、血を流して十字架の上で死んでくださり、償ってくださった代価による。
私たちが確信する「罪からの救い」は、神さまの側で、すでに全部を果たして提供してくださったものをお受けするという罪の赦しなので、だれでも「受けています」と、確信することができる。
イエス・キリストがこの私のために血を流されたと知るので、罪の赦しの確信はゆるぎないものとなる。

〔3〕確信の保証
13、14節に、7節の恵みの確信を保証してくださるのは「聖霊」であると書かれている。
私たちが、7節の確信の言葉を自分のものとして言うために、私たちの側ですることは、そのみわざを素直に単純に信じて受け取り、いただくことであるが、そのことに、聖霊が証印を押してくださったと書かれている。
また、14節の「保証」という言葉に表わされるように、後に、完全に自分のものとなるものの一部を、約束として、聖霊によって先にもらうことができるというわけである。
7節の確信は、私たちに今の喜びを実感させるとともに、永遠の御国で、私たちがいただくものの前味わいであることをも教えながら、この聖霊による保証が語られているのではないだろうか。

 おわりに 
7節の確信を持っておられるでしょうか。そうであることと、そうなられることを心からお祈り致します。