礼拝メモ

2010年5月23日   『助け主がいつまでも ともに』
ヨハネ14章16節〜27節

はじめに
今朝の聖書の箇所は、イエスさまが十字架にかかられる前、最後の晩餐で、聖霊について語られたところです。
特に16節と26節が心に響いていますが、いつまでもともにいてくださり、すべてのことを教えてくださる聖霊について、3つの段階で、知らせていただきましょう。

〔1〕ともにおられる方…教えの開始
聖霊から、私たちがすべてのことを教えていただくようになるための、大前提である、その「教えの開始」というべき、聖霊と私との交わりの始まりについて。
@父が聖霊を遣わされるということによって
「助け主」として、私たちと「ともにおられる」と16節に書かれている。
17節・23節では、「住む」「うちにおられる」といった表現が使われている。
この約束は、父が「助け主」である聖霊をイエスの名によって遣わされることによって実現される。聖霊は、父なる神や子なる神と同じく人格であられるので、キリストを愛し、従う者の「助け主」となってくださる。
聖霊は人格…生きておられ、考え、感じ、決断し、働いておられ、交わりができるお方、私たちの必要を知っていてくださる。
A私たちの愛と明け渡しの経験によって
この聖霊、私たちの心に満ち、教え働いてくださることのために、「私たちの愛と明け渡しの経験」が必要である。
弟子たちの経験は、ペンテコステ(使徒2:1〜)に始まった。聖霊の満たし・聖霊の支配に委ねる明け渡しの確かさが、その聖霊経験なしには、聖霊の教えを分かることができない。
この経験は、聖霊を知っているというだけでなく、その方が内にいらっしゃるという確信と納得である。
父と御子が御霊にあって、このように主を愛する人のところに来られて、ともに住んでくださるということが、この23節に語られている。
ここで、「住む」と言われているのは、神さまとの交わり、くつろぎを意味するそうである。
私たちは、神が心を住居としておられる、という自覚が与えられる、明け渡しの経験を持っているだろうか。
このような経験を私のものとするために、私たちは何をすればよいか。
「助け主」が必要であるとを認めること、すべてを明け渡すこと、聖霊がこの求めに応えてくださる方であると信じることが必要である。こうして私たちは、助け主に教え導いていただく恵みの生涯を開始することができる。

〔2〕教えてくださる方…教えの内容
「助け主」なる聖霊は、心に住んでくださり、私たちに「教えること」と「思い起こさせること」の二つの働きをしてくださることが約束されている。26節
私たちは、歩みの途上で、いつも新しい指示と、認識を必要とする。聖霊を受けた者は、「すべてのことを教える」聖霊を自分の教師とすることができる。
私たちが、この教師に聖霊に信頼することをやめず、謙虚に聞くことを止めないならば、常に新しい真理に導かれることができる。
聖霊は生ける神であるので、どのような場合にも、私たちがこの方に、まじめに聞こうとさえするなら、ご自身を現わし真理を明らかにしてくださる。
聖霊は前へ導いてくださると同時に、主イエスのお心を語り、主のもとにかたくとどまることを想起させてくださる。聖霊の教えはいつも、イエスのみことばと結合されているからである。

〔3〕平安をくださる方…教えの継続
16節に「いつまでもともにおられるために」という言葉があるが、まさに、聖霊は、ずっと一緒にいてくださるために来てくださった方である。
ガラテヤ5:25には、「御霊に導かれて進もうではありませんか。」と、この方の教えと導きの継続の中に、私たちが前進していくことが示されている。
27節で「わたしの平安」と、イエスさまがおっしゃっているが、このイエスさまの平安こそが、聖霊による平安と安息だと言えるだろう。
このとき、十字架を目前にしておられたイエスさまは、ご自身が弟子たちの目の前から去られても、そのみわざは中断しないことを、聖霊というお方が臨まれることによって証しし、約束しておられる。この平安が、いつまでも絶えないことを示しておられる。
「心」という言葉は、単数形。私たちひとりひとりが、この聖霊によって、もう、心を騒がせなくてよいと語られていることを知らせていただくことは、何という喜びであろうか。
この方に聞き従い、主に対する愛と服従の姿勢を保ち続けることによって、聖霊を私の助け主、私の教師として、前進し続けることができる。

 おわりに 
この心に満ちて、イエスさまのお心とお声を、私たちのうちに響かせ続けてくださる聖霊の教えをいただきながら、従う者であらせていただきましょう。