礼拝メモ

2010年5月16日   『でも、おことばどおり』
ルカ5章1〜11節

はじめに
シリーズ5回目の今朝は、ルカの福音書の記事をお開きしていますが、この箇所に登場するシモン・ペテロのイエスさまとの出会いのきっかけは、彼の側からすると偶然と思われるような関わりでイエスさまのお言葉を聞いたことに始まります。
教えを求める人々のため、イエスさまが、シモン・ペテロの持ち舟を借りて、そこにお座りになり、お話を続けられました。
前夜の漁(不漁)の後片付けをしていたシモン・ペテロたち漁師には、群衆のような求めや関心はなく、しかし、おそらく主のもっとも近くで、お言葉を聞くことになったのです。
そして群衆に語り終えられた時、イエスさまは、シモンに個人的に語りかけられます。(4節)今朝は、この箇所から、みことばに従うということについて、知らせていただきましょう。

〔1〕従うことへの招き
*従うことのために、イエスさまご自身からのおことばが語られている。4節 群衆に向かっておられた主が、シモンだけに視線を向けられて声をかけられた。
*それは命令であった。
シモンたち漁師にとって、それは、疑いを挟みたくなるような命令だった。
しかし、従うことへと招いてくださるために、主はシモン・ペテロに「魚をとりなさい」と言われた。

〔2〕従う者のありかた
その招きに応じた、シモン・ペテロの言葉(5節)から、主のおことばに従う者の在り方を見ていこう。
@主の前に
彼の言葉から、主ご自身の前にへりくだった態度で、事態や感情に関わらずに従うという態度の大切さを学ぶことができる。
「でも」…現実、自分の考えを述べた彼だったが、「でも」と言った。
イエスさまの前で、あなたがおっしゃるなら、と言えることが重要。
イエスさまは、私たちの信仰が大きいかどうか、理解が深いか否かを見られるのではなく、私たちのうちに信仰があるかないかを見てくださるお方。
その小さな信仰であっても、イエスさまのみ顔を見つめながら、「でも、従います」と言うなら、主のみわざを見ることができる。
Aおことばの前に
おことばの前に、へりくだりそのとおりに従うこと。
5節「おことばどおり」、6節「そのとおり」
みことばそのものに信頼を置いて、真実にそれを行うということの大切さが学び取れる。

〔3〕従った者が知ること
シモン・ペテロがお言葉どおりにすると、ありえない大漁を経験した。6・7節
あるはずのない大漁を経験した。
@主ご自身
このことによって、彼はまず、主ご自身のお力とみことばの確かさを知った。
イエスさまが神なる方であることをこの体験で知ったことが8節で分かる。
5節でイエスさまのことを「先生」と呼んだシモン・ペテロだったが、ここでは、「主よ」と呼んでいる。
主のお言葉に従ってその恵みの深みに漕ぎ出した者は、そのみわざの経験だけでなく、主ご自身を知るという経験をしていく。
A自分自身
シモン・ペテロは、偉大なイエスさまの前で、自分自身を知った。
そして、「ひれ伏す」という謙遜な態度で、イエスさまに接した。
自分の姿、内面、罪に気づかせられるとき、私たちは驚き恐れる。
しかし、主がこのように、私たちに自覚させてくださるのは、それを受け止め、解決し、赦してくださろうとしておられるから。主は彼に「こわがらなくてもよい」と言われた。
聖書の多くの箇所に「恐れるな」「こわがらなくてもよい」「恐れから遠ざかれ」というみことばがある。
主は、これらのお言葉とともに、ご自身を表わしていてくださる。
これはイエスさまを主として従う者への変わらない約束。
B新しい使命
続いて、主はシモン・ペテロに新しい使命を与えられた。
「これから後、あなたは人間をとるようになるのです」という使命。
神の国の働きのために主と共に労するものとなること。主の弟子として、主についていく道を歩む者となるという使命。
彼は、このお言葉にも即刻、全面的に従った。(11節)

 おわりに 
イエスさまは、私たちにも、みことばを語ってくださり、日々刻々、イエスさまとそのお言葉に従う生涯を歩むように招いていてくださいます。
私たちが、従い続けていくなら、深められていく主との愛の交わりを体験していくことができるのです。
この週も、「でも、おことばどおり…」と、主イエスさまが指さされる、恵みの深みに漕ぎ出していく者とならせていただきましょう。