礼拝メモ

2010年5月9日   『下って行きなさい』
ヨハネ4章46〜54節

はじめに
再びカナの町へ行かれたイエスさまのもとにやって来た王室役人と主との対話、癒しの奇蹟の記事。
繰り返されている「下って」47・49・50節ということばに目が留まりました。
カナは山地で、カペナウムは湖畔なので、それは地理的な意味をさしますが、その言葉を味わううち、主が役人に教えられた「下る」ということの霊的な意味を知りました。
今朝は、「へりくだる信仰」について3つに分けて見ていきたいと思います。

【1】へりくだって主のもとに行く
王室役人は息子の病気に対して、万策尽き果てて、イエスさまのもとにやって来たと思われる。
主のところへ行く以外に彼は方法を持たない、ということを知っておすがりするへりくだった心を主は私たちに求めておられる。
地理的には上って行った。しかし彼の心は自分の無力とイエスさまのお力を知って、低くされていた。

【2】へりくだって主のお心を知る
彼は息子のところまで、イエスさまに来てもらおうと思っていた。49節
→U列王5章ナアマンの癒しの記事
主に願う者でありながら、その方法を自分の尺度で決めてしまっているような役人の姿。
このような高ぶりが取り除かれる必要がある。そのために、主のお言葉に耳を傾けなければならない。
50節は、「直っています」原語で「いのちを持ちます」
イエスさまのお力とそれが表わされる方法を自分の考えで狭めてしまって「死」という考えを持った彼に、主は「いのち」を語られた。へりくだって主のお心を伺う者でありたい。

【3】へりくだって主の言葉に従う
主のお言葉に従う信仰と祝福。
イエスさまは、この王室役人に、なすべきことを命じられた。
この出来事の中で、主は見ずに信じるということを人々に教えようとしておられる。48節。
しるしに注目している人々にイエスさまは、外的なしるしがなくても、ご自身とそのお言葉を信じ、そのとおりに行動することを求められた。
「帰って行きなさい。」50節は、地理的にも「下っていきなさい」ということになる。
そして役人はそのお言葉の前にへりくだって帰途についた50節。
すると、途中で癒しの奇跡がなされたことを知った。
主が「直っている」といわれたのと同時刻に、息子の熱がひいたことは、みことばの確かさを、彼に実感させた。
「息子が癒された」ということ以上に、「しるし」を根拠とせず、主とそのお言葉を聞いて従い祝福を得たという信仰の体験が、彼を強め彼の喜びとなっただろう。
そして、それは、彼だけにとどまらず、家族にも広げられたことが記されている。

おわりに
謙遜な態度で主のもとに行き、主の手に委ね、主のおことばに自分をあてはめて、お従いしていきましょう。
このような信仰者に与えられる祝福をこの週も体験するお互いでありたいです。