| 2010年5月2日 『神はひとり子をあなたに』 |
| ヨハネ3章16〜17節 はじめに この箇所は、先々週、シリーズの中でお開きした、ニコデモというユダヤ人指導者とイエスさまとの会話に続いて、この福音書記者のヨハネが、補足的に説明を加えている部分です。 聖書は「バイブル」と言われます。この言葉は、元来「本」を意味するギリシャ語「ビブロス」からきているそうで、つまり聖書は、「書物の中の書物」というわけです。日本語(新改訳)の聖書は、2,000ページ以上もある 分厚い書物ですが、この全体を要約する一文、「聖書の中心」と言われているのが、このヨハネ3章16節です。 今朝は、この、本の中の本である聖書の中心・真ん中にあたるこの聖句から、神さまが私たちにひとり子をお与えくださったという恵みについて、知らせていただきたいと導かれています。 まず、「お与えになった」という言葉がありますが、これは、ギリシャ語でアオリスト時制というのが使われているそうです。 これは、不定過去形といわれる時制で、それが、はっきりと果たされて、完了した絶対的な事実で、それは何によっても変えられたり消されたりしない、というような意味を含むそうです。 さて、この与えられたというプレゼントについて3つに分けて見ていきたいと思います。 【1】神からのプレゼント…その対象 @世 全世界の全人類、すべての人を対象に、このプレゼントは与えられた。 先聖日の午後の学びで、「世」とは、神を中心としない人間の世界である…と学んだ。 すべての人間は、神によって造られたが、神を離れ、神のご存在を忘れ、神様を中心にではなく、自己中心に落ちいった。 「世」とはこの罪ある世を指している。 聖書は、刑法上の罪だけではなく、もっと心の深いところにある神を無視した自己中心を罪と言っている。→マルコ7:21,22 A滅びに向かっている者 「ひとりとして滅びることなく」 「滅びる」→ヘブル9:27 人間の死と、罪との関係→ローマ6:23,ローマ5:12 アダムの堕罪以来、人間の心に罪が入り、その結果、人間は死を刈り取ることになった。 「死」は、肉体の消滅とともに、たましいの永遠の滅びを意味する。 【2】神からのプレゼント…その方法 @イエス・キリストの御誕生 「ひとり子」…イエス・キリストのこと。 イエス・キリストは完全な人として来られたが、一度も罪を犯されなかった。 Aイエス・キリストの十字架 神さまはひとり子をこの世に送られ、そのいのちを私たちのために差し出され、十字架にはりつけにされた。 【3】神からのプレゼント…その意味 @神の義 キリストの十字架には、神様のご性質が現されている。第一にそれは「義」 「滅び」…神さまが罪をさばき、罰しなさる方であることと、その罰の事実が表わされている。 神さまは、罪をお嫌いになり、手加減なく徹底的に裁かれる方。神は義なる方である。 A神の愛 「愛された」も、アオリスト時制…神が私たちを愛しておられるということが、明確で、完了した、不変の事実として、描かれている。 神さまが義であるだけのお方ならば、すべての人は、聖くただしいお方の前に、立ちおおせず、滅びを免れない。しかし、神さまは同時に、愛のお方である。 つまり、神さまは罪人をも愛しておられる方なので、「ひとりとして滅びることなく」が、神さまのあつい み思いである。 そこで、神さまは、私たち「愛する罪人」を、赦し、永遠の滅びから救ってくださるために、み子イエスさまを十字架の死へと差し出された。→ローマ3:25,Tヨハネ4:10 こうして、神さまは、罪の贖いを完成された。このことによって、その義と愛は少しも損なわれることなく、十字架上に十分に満たされた。 おわりに 私たちが「信じる」なら、このプレゼントをすべて受けられることが書かれています。 「信じる」とは誰でもできることです。→マルチン・ルターの話 神様からの恵みのプレゼントを知った私たちが、その恵みを感謝して、信じ受け入れるなら、この聖句に書かれている「永遠のいのち」を得ることができます。 このいのちは、肉体が死んでもおわらない、死を乗り越えたいのちです。 たましいが滅びることなく、永遠に主とともに生きることができる者となるのです。 信じる、そのときからそのいのちに生き始めることができるのです。 |