礼拝メモ

2010年4月25日   『しかし、サマリヤを通って』
ヨハネ4章1〜26節

はじめに
イエスさまの宣教の働きを抑えようとするユダヤ人指導者たちとの衝突を混乱をさけて、主 はガリラヤに行こうとされました。
当時のユダヤ人の多くは、サマリヤ経由を避けてガリラヤへ行きましたが、4節のように、 イエスさまが、あえてサマリヤを通過する道を通られたのには、深い意味があるように思わ れます。主は、サマリヤ人のひとりの女と会うために、その道を選ばれたのでしょう。
そこで、今朝は「しかし、サマリヤを通って」と膚して、サマリヤの女と主との対話から、 生ける水を得るということについて、共に知らせていただきたいと思います。
彼女の質問
【1】生ける水を与えるために(1〜9節)
@サマリヤの町へ
ユダヤ人とサマリヤ人の対立があった。→その由来(申命記11:29ほか)
Aサマリヤの女と
主が覚えられた渇きや疲れ
サマリヤ人の女が、他の人が来ない時間に一人で汲みに来た。
水を求める主(7節)に、女は驚いた。
主は、個人的に近づき、その人だけに語りかけておられることが否めない状況で、静か にその人との対話を求めてくださる方である。
その青葉は、ご自分ののどの渇きをいやすためのものではなく、彼女が自分の渇きに 気づき、そこにイエスさまが触れて、癒してくださるための招きの言葉であるように思う。
【2】生ける水はどこから(10〜14節〉
@生ける水についての言及
人間の霊的渇きをいやすいのちの水、永遠のいのちへの水を指して言われた。
この水は、人の渇きを永遠にいやし、永遠に潤し、満たし続ける水。
この言及は、人の内側にある、深刻な豊的渇きの事実を指し示す。
A生ける水の提供者
人のたましいの渇きが解決され、潤され続けるようになることが、ご自身によって実現 することを、ご自分が「生ける水」を提供されるという表現で示された。
永遠のいのちの水の提供者、救い主としてイエスさまをと信じ受け入れることを示してお られる。
【3】生ける水はどのようにして(15〜26節)
@生ける水を求める者は
「その水を私にも」と主に求めた女の言葉の中に、彼女の内的な求め、叫びを聞かれた主 は、生ける水を得る条件を示されるために、彼女の罪に目をむけさせる質問をされる。
主は、彼女の奥底の問題点である罪を鋭く示し、悔い改めに導こうとしておられる。
彼女を責めるのではなく、そのご愛のゆえに、彼女がいのちの水を得るために通らなければ ならない、自分の罪を見つめるという、その苦しい場面に、ご自身から共に立ち会ってくだ さるために踏み込んでおられるのだと感じる。
この主の前に、罪を認め、告白し悔い改めることが、いのちの水を得る条件である。
A生ける水を得た者は
主は、生ける水を得た者が、その後どのように生きていくのかを教えられた。
23・24節・・・生ける水を得た者がささげ続ける、真の礼拝の姿
これは、キリストによって新しく生まれる、「霊」と「まこと」による礼拝
これが、生ける水を得た者の実質であるべきだと教えておられる。
また、メシヤについて話す(25節)女に、主は「あなたと話しているのがそれです」(26 節)と宣言された。
生ける水を得た者に与えられている納得は、主が言われた「わたしが それです」ということ。
私たちは、「キリストこそ救い主」という告白し続けながら、渇 くことのない満たしを体験し証ししてゆく。
おわりに
「サマリヤを通って」イエスさまがひとりの女のところに行かれ、彼女と出会われたように、 主は私たち一人一人にも、このように出会ってくださるために、近づき、愛をもって踏み込 み、そして受け入れてくださる方なのです。
イエスきまこそ、私たちの内的な渇きをみたす、 永遠のいのちの水を与えてくださる、救い主、きよめ主なのです。生ける水を受けた者とし て、主のみこころに従い、主を崇めて進ませていただきましょう。