礼拝メモ

2010年4月18日   『新しく生まれなければ』
ヨハネ3章1〜15節

はじめに
今朝はシリーズ「主イエスに出会った人々」の第2回目。
先週に続いて、今朝もヨハネの福音書からメッセージをいただいた。
先週の記事でイエスさまにお会いしたのは複数の人々だったが、 この3章からは、イエスさまに個人的に触れられた人の記事がいくつも出てくる。
今朝は、ニコデモという人とイエスさまの語らいの記事を通し、
「新しく生まれなければ」と題して、主の恵みによって新しくされるということにつ いて知らせていただきたい。
【1】ニコデモの訪問(1・2節)
@ニコデモの態度・組織
パリサイ人…律法を守ることが、生活の基準であり、彼らの誇りだった。
ユダヤ人の指導者、イスラエル社会では優れた教師。
イエスさまに「先生」・「教師」と話しかけた謙遜な態度。
主を神のもとから遣わされた方だと認めていた。
Aニコデモの求め
彼は、イエスさまに会う必要を強く感じていたと思われる。
一人で、しかも夜にやってきたということは、ここコデモの求めが個人的で、しかも強い ものであったことを表わすのではないか。また、内面的な求めだったのだろう。
私たちが、求めをもって、主の前に出るとき、主は私たちの必要に、十分な方である。
【2】ニコデモと主との問答(3〜15節)
この記事で、何回か繰り返されている「なければ」という言葉でまとめて、ここコデモと 主との会話を見て行こう。
@新しく生まれなければ(3節)
ユコデモのひととなりも、訪問の目的も、彼の理解度も知っておられた主は、彼に、 新しく生まれ変わることとその必要を語られた。
霊的存在として造られた→創世記1:26,2:7 私たちだが、罪が隔たりとなって 神から離れてしまぅたので、新たに神さまとの関係を回復された者とされる必要がある。
このような意味で「新しく生まれる」と言われている。
「新しく」という言葉…「上から」とも訳されるそうで、この新しい誕生が、神によっ てもたらされる霊的な誕生のであることを示しているといわれている。→Uコリ5:17 イエスさまが救い主であることを理解していなかったこここコデモに、主は、新生の必要性 を語られたが、彼はその真意がわからず、肉体的な誕生のことを連想して、4節の質問 をした。
A水と御霊によって生まれなければ(5・6節)
主は彼に「新生」の意味を語られるため、5節のように話され、3節に続いて、新しく 生まれなければ「神の国に入る」ことができないと言われた。
これは、信じる者に現在的に与えられる神様との新しい関係を表わしている。
御霊が私たちの心に働いて、罪を教え、悔い改めに導いてくださる。
私たちが新生の必要を感じて主の前に出るとき、聖霊がその経験へと導いてくださる。
その時、救いの根拠となるのは、キリストの十字架と復活という「福音」である。
そしてこのことは、人間の理性を越えた神の聖霊の働きであることが8節に諮られてい る。−→テトス3:5
また6節に、罪に支配されていた者が、主を信じて新しく生まれ変わり、主に属する者 となることが示されている。
B人の子が上げられなければ(14節)
この新生の恵みをわからないニコデモに、イエスさまは、ご自身による贖いのみわざ、 十字架の意味を示されるために、14節の言葉を語られ、民数記21章の出来事を引用 しながら、ご自分が民を救うために十字架にかからなければならないことを示された。
そして、結論として、15節を語られた。
このあと、16−21軌こ記者ヨハネが、補足的に説明を加えているが、それらの箇所 については、再来週、5月の伝道礼拝で触れたい。
おわりに
人は、心の内の求め、飢えを自ら満たすこと、癒すことはできない。自分で満足を作り出す こと、白分を生まれ変わらせることは、決して出来ない。しかし、それを主がしてくださる というお約束が、この記事に書かれている。
主イエスさまを信じて新しく生まれるという恵みの経験をさせていただき、この方に属する 者として光の中を歩む者とされた恵みを、感謝して進ませていただこう。また、多くの方々 にこの救い、きよめの恵みを証しし、「新しく生まれなければ」体験することのできない喜 びと平安を伝えてゆこう。