| 2010年2月21日 『キリストの力が私をおおうために』 |
| Uコリント12章5節〜10節 はじめに Uコリント12章は、前の章から続いてパウロが自覚し、取り去って欲しいと願い、そして 誇った、「弱さ」について語られている。 彼の語る「弱さ」を、3つにまとめて見つめよう。 【1】与えられた弱さ・・・高ぶることがないために(7・8節) *「とげ」・‥ギリシャ話でスコロプス、先のとがったものという意味のことば *「三度も主に頗いました」…断食をともなった祈りであったらしい。 この「弱さ」は、パウロにとって、大きな妨げとなるもので、取り除いてはしいと熱望 するものだった。 *「主に願った」「与えられた」 彼はこの弱さを、主がお許しになった上で与えられたものととらえていた。 【2】舶用去られない弱さ・・・神の力が現われるために(9節前半) 彼の切なる祈りへの主はおこたえは、彼を苦しめる肉体のとげの除去ではなかった。 *「主は言われたのせす」=・手書'われた。そして今も言われる」という現在完了形。 「去らせてください」という彼の願いに対して、神様は、「わたしの恵みはあなたに十分」 という、ご白身をあらわすこたえを与えられ、パウロはそれに納得して受け取った。 リビングバイブル訳 →牧師の証し 私は、もとどおりに回復させてくださいと、三度も神様にお顔いしました。そのつど 返ってくる答えは、こうでした。「いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共に いる。それで十分ではないか.…」 【3】誇るべき弱さ・・キリストの力が私をおおうために(9節後半) 主からの答えを受け取ったパウロは続いて「私の弱さを誇りましょう」と言っている。 しかも、本当に大いに喜んでそれをすると膏っている。それは、キリストの力におおわれ るため。 「キリストの力」…それは最大の力。死にも打ち勝たれた復活の力。どんな不正や 不義、罪にも敗れない力、決して絶えることのない愛の力である。 パウロは、この愛の力に覆われるという恵み、弱い者がキリストの力におおわれて、神様 の栄光があらわされることを信じ、また体験的し続けていった。 現実から目をそらさずに、しかしその現実に落胆せずに、主の愛の力に覆われることの秘 訣が、ここに「弱さを誇る」という言葉で表わされているように思う。 →カウマン夫人の言葉「感情と信仰と事実が壁を登っていた・・」 変わらない事実…私たちの前にそびえる高い壁、私たちを落胆させるような現実…しかし、 それ以上にもっと鮮明に語られている、事実の中の事実は、キリストが私と共におられる ことである。この恵みの事実に生きるなら、私たちは揺るぐことがない。 おわりに 主からの語りかけに、祈りをもってお応えしよう。 満ちあふれる主の愛と恵みを体験し、喜びつつ、今週も進ませていただこう。 |