礼拝メモ

2010年2月7日   『確かな希望に生きる』
ローマ5章1節〜11節

はじめに
◎「望み・希望」についてどんな考えをお持ちですか?
・実は、意識的・無意織的か、また身近で小さいものか・長期的かつ大きな ものか−ともかく人は、様々な望み・期待をもって生きている存在。
・もう一つ、私たちは、身辺から世界大まで、多くの厳しい現実・課題に取 り囲まれている中で、「見通し」が持てる場合は、まだ耐える気力を持つ 可能性があるが、展望が持てないときが大変。ダンテ(13世紀イタリヤ詩人)の『神 曲』の地獄編に、「この門より入る者は、望みを捨てよ」という言葉があ る=地獄の最大の苦痛は、過酷な責めより、望みが全く無いという宣告。
=私たちは、現実の生活の直中で「希望を持っているだろうか?その希望 は 環境や時間に流されない、確かなものか?どんな内容・実質を持っ たものか?」と、自分に問いかけたら、どんな返事が出来るだろうか?
◎不思議な聖書句:『この希望は失望に終わることがありません』ローマ5: (5)【別訳】この希望は‥欺くことはない(共同)/払たちに失望・辱しめを与え ることはない(詳訳) *参『望みえないときに望みを抱いて信じた』4:(18)
◎聖書中「望み・希望」についての教えは多い。本日は主要数点を、主とし てローマ5章から考察する。ローマ書は、使徒パウロがキリスト教教理を 組織的に述べた手紙で、5章はキリストの救いの経験の恵みを教えている。 −《福音のもたらす希望》=「それは何か、なぜ信じられるのか?」と。
※以下、(内)は聖書箇所の節の数
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T.望みの根拠=なぜ、..このような希望を持てるのか?
A.人間的な希望の限界
・常識的には、確実に思えても、あるいは善意からでも=人の限界・生命 の限界/経済界・自然界・社会などの転変性を認めざるをえない。
B.神による希望
@確かな神の存在・確かな神の約束があるから
A確かな神の愛・十字架による救いがあるから
−天地万有の創造者・保有者の神を信じ、それゆえその御方の言葉・約束 を信用する⇒『神がおられることと、・・求めるものに報いてくださるこ とを信じる/神の言葉は永遠に立つ』(へブル11:6/イザヤ40:8)
一(6)(8)(10)/(5)死・十字架の救いを備えられるほどの私への関心と愛の行為
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U.望みの実質・内容=福音による希望とは何か?
A.私たちは変わることができる
@5章の聖句の内容から=キリストの救いの経験を見る
・(1)「信仰によって義と認められる」/・(1)「神との平和」(10)(11)「和解の 成立」の経験/・(2)「今立っているこの恵みに導き入れられる」
A(他の聖書箇所も含めて〉整理すると−
・聖書の厳粛な指摘−人間は聖なる神の前には、皆罪人である
(6)(8)(10)「私が‥の時」正義の法を守れず、神に敵対し、罪人だったとき
・そこにキリスト‥十字架による改変・救いと愛が示された(Uコリ5:17)
(6)(8)「死んでくださったことによる神の愛」
・それで救い=義認・和解(平和)がもたらされた⇒神の子とされた(1)(9)(10)
=これは生涯的な変貌の歩みの始まりである。
B.前向きに生きていくことができる
@聖句:「喜びの生活」−栄光を望んで(2)、難難さえも(3)、神ご自身を(11)
A具体的には一万事に主の御旨・摂理を信じて生きる、だから希望を失 わない、患難さえ喜ぶのは、希望が生まれるから⇒(3)の段階参照。その 希望は失望には終わらない。神の愛が注がれ(心の灌漑がなされ)ている ゆえに。
−今に至るまで、多くのすばらしい証人がいる
C.永遠の希望に生きていくことができる
変貌の継続/栄光のゴール/永遠のいのちへの希望−(2)(Uコリ3:18/ 4:16〜5:1)一今に至るまで、多くのすばらしい証人がいる
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おわりに
◎経験への鍵は何か?−(1)(2)「信仰によって」救いに、今立っているこの 恵みに導き入れられているとある。最後は、思い切った単純信仰である。
◎(1)〜(5)は、現在形=今の経験である。「私」はどうであろうか?