| 2010年1月17日 『愛による成長』 |
| エペソ3章7節〜21節 はじめに エペソ書には教会に対する神様のみむねが語られています。 3章には、教会に連なる私たちがどうなるべきかを語る祈りが書かれています。 今年の私たちの群れのために、与えられたみことばは3章の16〜19節の祈りです。 ここには、16節「強くしてくださいますように」、17節「住んでくださいますように」、 18・19節「理解する・‥知ることができますように」、19節の「満たされますように」 という4つの祈りがあります。これらの祈りが、私たちひとりひとりのために、またこの教 会のためにささげられ、投げかけられていることを覚えっっ、「愛によって成長する」とい うことについて見ていきたいと思います。 【1】細り知れない富 *「強くされますように」 この「強くされる」というのは、弱い自分が死んで、御霊によって強さが与えられること。 内なる人が強くされる、つまり霊的に健全な成長が与えられるということ。 それは、救いの体験をもとにした、自分自身に対する正しい理解と、救いによって私たち が受け、信じた福音と、与えられた務めに対する理解に立脚する。→7〜11節 パウロは、自分のことを「一番小さい私」と評価し、福音を「測りがたい富」と理解し表 現している.この福音を宣べ伝えること、教会に仕えることが、パウロに意識されていた すばらしい特権だった.この特権を意識すればするほど、彼は、謙遜にされていった。 彼は、この福音の恵みの前に立って、その大きさ、すばらしさに驚きをおぼえ、自らの小 ささを理解させられていったのだろう。 同様に、この務めをいただいた私たち(教会)も、自分の無価値さ、弱さを主の前に正しく 認識するなら、御霊によって強くされることができる。 この「強くされるように」という祈りは、続く17節の最初に「こうして」という言葉があ るとおり、あとに続く祈りの前提、土台となるものである。 *「住んでくださいますように」 救われるとは、過去のすべての罪を赦していただくことだけでなく、神の霊を心に宿して、別 の言葉で言えば、キリストに心に住んでいただいて、全く新しいいのちに歩む者とされること である。クリスチャンの品性とか力とは、心に住んでくださるキリストの、私たちを通しての お働きである。私たちは弱く欠けだらけだが、キリストはこのような者の心に住んで、力強く 十分に働き出し輝き出てくださる.そのようなお働きを私たちのうちに具体化するのが信仰で あるといえるだろう。→Uコリント4:7 キリストを土の器の中にお宿ししているといううなずきと喜びは、私たちがキリストのために 生き働くということに直結してゆくものであろう。それは私たちに、自意識ではなく、その奉 仕や生きる場所を与えてくださっているお方に対する意識を与えるものだからである。 →トスカこ二一一こニの言葉 イエスさまを内にお宿しし、主のものとして主のために生きる私た ちの務めは、それによってキリストを輝かせ、キリストが崇められることである。 この方が「うちに住んでくださいますように」という祈りは、キリス吊こよってもたらされた 「執りがたい富」を受け、信じ、運ぶ者に必要な祈りである。 【2】測り知れない愛 *「理解する…知ることができますように」 神様の愛を理解するというとき、それは、体験することによって与えられる理解、信仰によっ て与えられる理解 であることが、みことばの表現から読み取れる。 17飾「愛に根ざし」「愛に基礎を置いている」 私たちは、キリストの愛によって買い戻され、互いに繋がる者とされた。 この意味では、すでに私たちはキリストの愛を体験的に知っている者である。 18節「広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する」 愛を、私たちのものさしで測れるかのような表現がされているが、それは、人間的な標準で 推し量るということとは違う。同時に、矛盾するかのように、「謝りがたい」「人知をはるか に越えた」とかかれていることに目を留めたい。 これは、キリストの愛を知るということは、 御霊の力によって、無限大、無尽蔵のその愛を信じる信仰によって、それが可能となる、と いうことを表わしているのではないか。 →CSさんびか41番「両手いっぱいの愛」 ある日イエスさまに聞いてみたんだ どれくらい ぼくを愛してるの? これくらいかな これくらいかな・・ある日イエスさまは こたえてくれた 静かに両手を広げて この てのひらに 釘をうたれて 十字架にかかってくださった… 私たちは自分の掌で主の愛を測ろうとするかもしれない。しかし、イエス様の両手いっぱい の愛は、私のために釘を打たれ傷ついた御手から溢れ出る愛なのである。このような「測り 知れないキリストの愛」の理解を、日々の喜びや苦しみや様々なことを与えられ、そこを通 る中で、なお深く知らされていきたいものだ。そして、その愛に憩い慰められ感謝にあふれ て進むようにという折りがここにある。 【3】測り知れない成長 *「キリストの満ち満ちたさまにまで満たされますように」 19節の中ほどに、再び「こうして」という青菜があり、この4つめの祈り「満たされますよ うに」が続く。つまり、この折りは、前の3つの祈りの前途に備えられているすばらしい希望 であるといえる。キリストを心に宿し、その豊かな愛を理解するほどに、私たちの信仰は強め られ、大胆な確信をもって神に近づくことができる。 体験的に知らせていただいたキリストの愛を、自らのものとされるだけでなく、その神の愛の 御性質が、私たちのうちに満ち満ちたものとなることのお約束であると読み取ることができる。 私たちが知った愛は、満ち溢れ、私たちを愛に生きる者とする動力となり続けてゆくのである。 *20飾 パウロはひざをかがめて教会のために祈り、頒栄をささげた。私たちを通して、神 の栄光が顕されるように、パウ叫ま、祈祷は想像以上の力を発揮するということを信じて祈っ ている。彼は「私たちの願うところ、思うところにすべてを越えて豊かに施すことのできる方」 を見上げ、クリスチャンのそして教会の測り知れないすばらしい成長とそれによって栄光があ らわされることへの希望を祈っている。 おわりに これらの祈りの応えが、御霊により、力をもって、私たちにもたらされ、私たちの生涯を貫いて、 愛による成長が与えられ、2010年のこの徳島教会に証しされますように、祈りましょう。 |