待降・聖誕節季、そして年末に『信じる者の幸い』
−聖化と成長の年−
【聖句】
『主によって語られたことは必ず実現すると
信じきった人は、何ど幸いなことでしょう』
『福音を説き聞かされていることは・・・彼らも
同じなのです。ところが、その聞いたことばは
彼らには、益とはなりませんでした。(彼ら)
に信仰によって結びつけられなかったからです。』
(ルカ1:35/ヘブル4:2)
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私たちは、第28回の《あわ聖会》によって、恵みをいただき、
主の語りかけをいただきました。
願いながらも、午前・午後の集会に出席できなかった兄姉が、
かなりおられたのは残念でしたが、テープなどで後日、
同じ恵みに与っていただけたらと願っています。
そして今日から、今年のアドベント=待降節に入ります。
また続けられてきた礼拝連講《据えられた土台の確認と前進》は、
最終回を迎えます⇒別項梗概参照
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【1】信仰と不信仰
◎冒頭に二つの聖句を掲げました。
前者は、マリヤの受胎告知があった後、エリサベツが語ったもので、
それを受けて、マリヤはあの有名なマグニフィカートと呼ばれる
信仰の賛歌を告白します。後者は、へブルの著者が、
ヨルダン渡河をめぐる故事に触れながら、神の民に警告と
励ましを与えている筒所です。
◎この二つの聖句は、鮮やかに「信じる者の幸い/不信仰の悲劇」を
教えます。「主が」語られたのだからと、「信じきる」人と、
祝福・恵みを眼前にしながら、「信仰で受けとめられなかった」
人々の対比は、あまりにも対照的です。
◎待降・聖誕節を彩る人物・出来事は、「生きた信仰の大切さ」を
示しています。聖霊による受胎という大変な出来事を受け入れた
マリヤも、突然に告げられた天使の御告げに従って、
家畜小屋に駆けつけた羊飼いも、東方から王なる嬰児を礼拝する
未知の遠い旅に踏み出した博士たちも、神の宮でメシヤの出現を
待ち続けたシメオンとアンナも、様々の角度から「信じる者の幸いと
すばらしさ」を教えています。
またザカリヤとエリサベツは、不信仰を戒められ、信じることの
尊さを知り、救い主の誕生の事実と場所まで知りながら、
礼拝拒否どころか、抹殺まではかったヘロデ王の悲劇は、
大きな警戒となりました。
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【2】私たちはどうだろうか
◎《あわ聖会》で講師の平位師を通して、主は、大切な語りかけを
してくださいました。私たち罪人を、主は呼び出して、
聖なる道に導き入れてくださっただけでなく、聖きを全うするように
励ましてくださっていること、固い石の心でなく、柔らかい心を
経験する者となるよう、新しく聖霊を注いでくださることなど、
私たちが信仰者として大事な問題に光と希望を与えてくださいました。
しかし信仰をもって受けとめることが、どうしても必要なです。
◎《待降・聖誕節季》には、今年も多くの、また多彩な企画が
なされています。よく知っている出来事、歌いなれた聖誕節の賛美歌、
また様々な催しを通じ、あるいはこの節季を過ごす日常生活の直中で、
主の語りかけを開き、個人的に信仰で応答出来たら、どんなに豊かな
アドベント・クリスマスになるでしょうか。また親しい家族、
友人を誘って、主を信じる幸いにお招き出来たら、新たな恵みの時と
なります。
◎当教会が大きな変化を通過した年を、締め括る月に入ります。
主との豊かな交わり、主への信頼の確認・更新・深化を経験する時と
なるよう祈るものです。
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『信じない者にならないで、信じる者になりむさい/
見ずに信じる者は幸いです』(ヨハネ20:27、29)