『我は聖霊を信ず』 ― ペンテコステを迎える



−聖化と成長の年−

【聖句】
『五旬節の日になって・・・みなが聖霊に満たされ、
 聖霊が話させて下さるとおりに・・・話し出した。
 /ペテロは11人とともに立って声を張り上げ、
 人々にはっきりとこう言った。』
      (使徒2章1〜4節・11節)

転任という大きな区切りから、教会は一カ月を経過しました。また、私たちは、
この月末31日に、今年のペンテコステ=五旬節主日を迎えます。
主の御約束のように、待望していた弟子たちに、五旬節の日、聖霊が
注がれた出来事を記念する日です。表題の「我は聖霊を信ず」は、
ご承知のように使徒信条の一節です。使徒信条は、聖霊については
たった一行、こう短く述べているに過ぎません。しかし極めて重要な一行です。
この弟子たちのペンテコステの経験、聖霊の満たしに関連して、いくつかの、
大切なキー・ワード・重要な事がありますが、今回は「変貌」と「教会」の二つに注目します。          †
第一は「変貌」で、それは弟子たちの変貌です。福音書に、私たちは、主イエスの公生涯の
最後の期間やご受難・十字架に際しての弟子たちの、悲しいまでの失敗や自己中心の
姿を見ます。ですから、復活後、宣教に携わる弟子たちを黙らすには、議会に呼び出し、
脅しと圧力を加えれば十分と、宗教指導者・長老・学者らが考えたのも当然です。
しかし私たちは、使徒の働きの書の前半部に、弟子たちの驚くばかりの変貌を見ます。
◎ペンテコステの日に、パウロは大衆の前で立って・大声で・ハッキリと語り始めます。
それもキリストが、悪しき人々により十字架にかけられたことと、復活されたことを
「私たちが証人」だとまで明言するのです。
◎臆病者だったはずの弟子たちが、宗教指導者の前で臆することなく蘇り、迫害や辱しめを
 光栄とさえ思うのです。
◎さすがに、その変貌ぶりほ、敵対者たちも、認めざるをえませんでした。
 ― 使徒2:4、32/3:15/4:13、19/5:41などを参照。
私たちは、その変化が聖霊の滴たしの経験によることを知っています。
その約束が「末の世のすべての人に」与えもれたことも。
         †
第二は「教会」で、最初の教会が、聖霊の降臨によって誕生したということです。
◎史上最初の教会は、十字架と復活の福音の明示により、聖霊の光と働きで、
心をさされた人々の明確な悔い改めと信仰告白、そして受洗によって生まれました。
◎その教会は、その後も実に多くの回心者が起きたこと、宗教的な猛烈な迫害・妨害に
遭遇したこと、急速な鉱がりの影響もあったことでしょうが、教会内部にも、色々な
聞題や摩擦が生じたことなどに、特色付けられる形で教会が形成きれていきました。
◎聖霊は、その最初の教会の形成期に躍動していたのでした。前述のように、
教会の誕生も、内外の課題・試練の克服も、豊かな聖霊の働きによって行われました。
よく語られますように、最初の教会は、完璧であったわけでもなく、むしろ課題の
連続でした。「何が私たちへの模範なのか」と言えば、これまた語れるように、
こうした内外の問題を、生き生きとした聖霊の働きにょって克服し、むしろ前進・成長の
資とさえしてしまったことにあります。
私たちは、今も同じ聖霊が、教会のために働いておられることを知っています。
         †
「我は、聖霊を信ず」との毎主日の私たちの告白を、ただの習慣にしてはなりません。
聖霊は、あのペンテコステの日に「各々この上に臨み、また「部屋にいる人全体・みな」が
満たされました。他にも同様な記事がありますが、言わば「個別的」に、そして「集団的・
教会全体」が、滴たしを経験しているのです。
そして「なおのこと、天の父が、求めている人たちに、どうして聖霊を下さらないことが
ありましょうか。」(ルカ11:13)との約束を、私たちが与えられていることを覚えて、
私たちもまた生きた聖霊経験に与ること、与り続けることを、求めようではありませんか。
そして私もまた、「変貌」の道を、「教会全体と私個人の教会活動」の躍動を、
求めていきましょう。
         †
当教会の具体的なこととしては、
◎【聖別会】が引き続いて持たれていきます。
 まさに霊的変貌の絶えない追求です。
◎ちょうど【教会】の連講と重なっていきますが、これを好機と捉え、この教会がさらに
 躍動する聖霊の働きのもとに動く群れとなるよう祈ります。「たてあげの会」で、
 また個人的な希望の表明などによって、今までの土台の上に、さらに聖霊の指導のもとで、
 成長・前進を祈ってまいりましょう。

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