『新しい神経験』



−聖化と成長の年−

【聖句】
『神はこのイエスをよみがえらせました。
 私たちはみな、そのことの証人です。』
      (使徒2章22節)

私たちは、この教会に属する(関わる)キリスト者として、 大切な時期を迎えています。
@1965年開設の徳島教会の第三代目、そして30年にわたり、 奉仕された高島牧師ご夫妻を、年会任命により、王子にお送り しました。一言では言い表せない、今までのご愛労に心から感謝し、 主の報いをお祈りし、あわせて、新任地のお働きに、主の 祝福を熱心にお祈りしましょう。
Aそれに重ね合わせるようにして、教会暦では、受難週・イースターを経て、ペン ステに向かっています。この時期ならではの、主の語りかけに、心を集中することは 大変大切な、また幸いなことであります。

主の弟子たちにとって−
それは(激動の経験)でありました。後世の私たちには十分には想像出来ないで、 彼らは、文字通り「生身を持っておられた主イエスと共に生活する」特権に与っていたの です。困難・試練・問題に直面する毎に、直接に主のもとに駆け込むことができたのです。
その絶対的な信頼を寄せていた主が十字架につけられ、取り去られてしまったのですから、 そのショックもまた、想像を絶するものでした。イースター礼拝に私たちは、「エマオ途上の弟子」に思いを向けました。 復活の日、しかも墓に主のお姿が見当たらないとの情報を得ているのに、主と分からなかったこ とは、不思議にさえ思えますが、それほどに「それまでの主への信頼」が、彼らの心を占 めていた証拠なのです。弟子たちは失望のどん底にあったのです。「主よ。どうして私 たちを置いていかれたのですか。私たちはどうすればいいのですか、何を頼りにしたらよ いのですか」と。

弟子たちが、それを打破したのは
(新しい神経験)でありました。あらかじめ主が教えてくださったこと(後になって彼 らは悟ります)、主が直接に臨まれたことを通して、彼らの目が開かれ、彼らは新しい神 経験・信仰に導かれたのです。復活された主は、トマスに「見ずに信じる者は幸いです」 と言われました(ヨハネ20:29)。

□主は弟子への最後の訓告の中で (ヨハネ14〜16章)、再三にわたり「ご自身は去っ て行かれること、しかし別の助け主なる聖霊が来られ、それゆえ(新しい形で)主は 共にいてくださること」を教えられました。

□復活された主は、信仰の眼をもって仰ぐ者 と臨在されることを、明示されました。天 に昇られる、つまり弟子たちから、姿を消 されるその時、その場で、「見よ。わたし は、いつまでもあなたがたとともにいる」と語られたのです(マタイ28:20)

□それが生き生きと経験されるためには、上 からの新たな恵み、聖霊経験が弟子たちに は必要でしたから、主は彼らにそれを、待 ち望むように命じられたのです。私たちはペンテコステの日に、 約束のように聖霊の降臨を経験した弟子たちが、霊的に一新され、変貌して、輝かしい主の証人になった 事実を知っています(使徒2章)。

私たちもまた、新しい神経験を−

□冒頭に記しましたように、私たちは愛と真 実をもって行き届いた奉仕をしてこられた 器とお別れしました.当然のことながら、 尽きない思い出とともに、先生方を懐かし む思いや寂しさが、心中深くおありのこと と思います。しかし弟子たちにとりその危 機的状況こそが、深い、新しい神経験とな りましたように、愛兄姉たとっても、より 深い神経験、信仰理解、教会愛に導かれる 好機となりますよう切に祈っています。

□あわせて、勝利あるキリスト者生活を送る ために、私たちもまた、弟子たちと同じ経 験が必要であることを覚え、切に祈り求め るときとなりすよう、祈ってやみません。

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