『あなたもイザヤに』



−聖化と宣教の年−

【聖句】
『私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。』
 と言っておられる主の声を聞いたので、言った。『ここに、私が  おります。私を遣わしてください。』
                (イザヤ6章8節)

第28回四国聖会は8月26日〜28日まで開かれ、『広げよう!あなたの翼を』をテーマに、
古波津先生を通して、イザヤ書や先生ご自身の体験を交えながらの恵みあふれるメッセージが
取り次がれた。その後、愛兄姉からは、静かにひしひしと恵みが感じられるお証しが次々と
なされた。ハレルヤ!
ちなみに、聖会I「本当の道は」(イザヤ57章14〜19節、35章8節)、聖会U「母の胎内にいる時から」
(イザヤ44章1.5節、21〜23節)、宣教会「人を漁る者に」(イザヤ54章1.10節、マルコ1章17節)と、
今聖会はイザヤ書が中心だった。また聖書講義でも、「イザヤのディボーション」(イザヤ6章1〜10節)
という表題だった。そこで今月は、イザヤ6章1〜8節から「あなたもイザヤに」をテーマに、
述べさせていただこうと思う。

(1)主を見たこと

『ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた…主を見た。』(1節)
ウジヤは名君であり、近隣異邦の国々にとって脅威であった。
彼の死はユダヤ人にとって危機の訪れであるとともに、イザヤにとっては心の大黒柱を失うという
悲哀に満ちた出来事だった。
さてイザヤは国民のために神殿の上に立ち、2つの翼で顔をおおい、また2つの翼で両足をおおい、
さらに2つの翼で飛んでいる、天使セラフイムの姿であった。そして、高くあげられた王座に座して
おられる、万軍の神、全知全能の神、聖なる神なる主の御姿であった。
天使は顔をおおい、真に主の臨在を拝し、惜しみなく飛び舞いつつ、神に奉仕しているのだろうか?
故U兄が主イエス・キリストを信じる機会となったのは、愛娘T姉が交通事故で亡くなった時であった。
事故日の翌朝、枕元に立っているT姉を見たという。それまで白分は死んだら靖国神社だ”と
公言していたのが、180度の方向転換となった。
私たちは心の大黒柱を、心を満たしていたものを失った時、神を知るようだ。そこで今までの
自己中心の罪を悔い改め、救い主を信じるに至ることがよく見受けられる。

(2)私の口に触れたこと

『彼(セラフィム)は、私(イザヤ)の口に触れて言った。『見よ。これがあなたの唇に触れたので、
あなたの不義は敢り去られ、あなたの罪も贖われた。』」(7節)
イザヤは聖なる神に接した時、恐ろしいものを見たのである。聖なる神から切り離された自分、
汚れた民の一人である自分、唇の汚れた自分。真に、白分のうちに地獄を見たのである。
ああ、自分はもうだめだ″とイザヤは自分の心の汚れを見て絶望したのである。
私は救いの時も、聖化のときも、自分の言葉と行動の違いに苦しんだ。
言行不一致の罪であり、心の腐敗だった。表面的には何事もなかったように仕事や勉学に励んでいたが、
心の奥では霊の戦いをしていた。だから私にはこの場面のイザヤの気持ちが自分のことのように思え、よくわかる。
さて、その時イザヤは何に触れたのか?それは、祭壇の上から取った燃えさかる炭火でであった。
セラフィムは火バサミでつかんだこの火でイザヤの口に触れた。この時、イザヤの不義と悪は取り除かれ、
罪はきよめられた。実に聖霊の火のバブテスマである。聖霊は御言葉の火をもって、私たちを聖化してくださる。

(3) 聞いたこと

「私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうと言っておられる主の声を聞いたので、
言った。」(8節)
その時イザヤは、何を聞いたのか?彼は自らが汚れた唇を持つことを告白し、唇の働きは偽善的で、
自分は神の御仕事にはふさわしくないと告白した。しかし彼は、神の御前にひれ伏した時、
聖霊の火によって心の内住の罪をきよめられ、神の御声を聞き、神の御心を示された。
そしてこの時、何のためらいもなく「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と進み出た。
神の御声は常に働き、神は応答を待っている。「わたしについて来なさい」「ただ信じなさい」
「主がお入用なのです」「あなたはわたしに従いなさい」等々の御言葉に触れて進み出て、
牧師になった者も多い。また多くのクリスチャンもそのような御声を聞き信じて、
「教会から家庭に、職場に、学校に遣わされている。お互いに改めて自覚したい。
あなたもイザヤ!イザヤが「くちびるの汚れた者」である事を告白し、聖霊によってきょめられて、
「ここに、私がおります。私を遣わしてください」と応答したように、
あなたも神の御前に進み出ようではないか

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