『霊的な涙の力』



−宣教と聖化の年−

【聖句】
『キリストは、人としてこの世におられたとき、
 自分を死から救うことのできる方に向かって、
 大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、
 そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。』
                    (ヘブル5章7節)

過日、若い大阪府知事の涙の会見は、心労か演技かで賛否両論にて沸騰した。
人間が涙を流すのは、失敗や死など悲しい時、勝利や成功など嬉しい時などにも見られる。
また、俳優がドラマや劇の中で流す演技的な涙もある。エサウは失望の涙、
ヨセフは再会感激の涙、ハンナは悲しみの涙、ヒゼキヤ王は病気になって
死が差し迫っての涙、そしてサムソンの妻は演技的な涙を流した。
これらの涙はすべて肉的である。一方で涙は、人を極度の緊張から解放することもある。
というのは、善意の涙と叫びは、落胆した者や失望した者の気持ちをやわらげることがあるからだ。
しかし、自己憐憫のために繰り返される涙は、霊的な涙ではない。

(l) とりなしの涙

愛のとりなしの中の涙は、恥じることではない。その涙は祈る人ととりなされる人との
一体化の深さ・強さを証しする。ダビデは『私が、断食して、わが身を泣き悲しむ』(詩篇69:10)
と、神の民のために泣いた。イザヤは民の必要のために『涙を流して泣く』(イザヤ16:9)
と証しをした。”涙の預言者”として知られているエレミヤは、『あなた方の高ぶりのために泣き、
涙にくれ、私の目は涙を流そう。私の目は夜も昼も涙を流して、やむことがない。』
(エレミヤ13・17、14・17)と、神の民の罪のために涙の奉仕をした。偉大な使徒であり
異邦人宣教師であったパウロもまた、「私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって…主に仕えました。
私が3年の間、夜も昼も、涙とともにあなた方一人一人を訓戒し続けて来た」(使徒20章19、31節)
と、涙の奉仕をした。彼らのとりなしの祈りは、真に自分のこととなっているゆえに、
真実の涙が流れたのである。

(2) イエスの涙

イエス様は、祈りにおいて泣くということが何を意味しているのかを、よく知っておられる。
聖書中で最も短い言葉、『イエスは涙を流された。』(ヨハネ11・35)は、イエス様の
愛と憐みの涙であり、またとりなしの涙であった。私たちとともに泣かれるのは、
ゲッセマネの園で暗黒の力、罪の力と戦われた時、私たちのために涙を流されたお方なのである。
その御姿が、冒頭の聖句である。
福音書の著者は、グッセマネの祈りがどんなにか激しいものであったかを表そうとして、
「イエスは深く恐れもだえ始められた」、イエス様ご自身の告白として
『わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。』、また「イエスは苦しみもだえて、
いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた』(ルカ22・44)
と、記述している。恐るべき十字架!それは死の恐ろしさを意味するだけではなく、
すべての人間の罪を背負われたイエス様は、人間の罪のためにのろいを一身に受けなければ
ならなかった。その苦悩と涙、祈りと願いの生涯を通じてイエス様は、十字架という最終場面で
神に全的に委ねられたお方なのである。主は苦悩を徹底的に「人の子」(肉において)
として受け入れ、神の御子としての力を用いなかった。人の子は無理強いされて代価を
払ったのではない。主は、自ら進んでいのちを犠牲にして、私たち罪ある人間を救い出された。

(3) クリスチャンの涙

私たちにとって言葉が大切であるように、涙もとても大切である。
詩篇126篇5・6節「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、
泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」の涙は、
とりなしの中で流された切願の涙であり、かつ、祈りに応えてくださった神を賛美する時の、
喜びの涙である。「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある」(伝道者の書3・4)
と、時には泣かなければならない。特に私たちは、罪がどんどん増しているゆえに、
今泣くべきなのである。
神は、私たちに涙をもって祈るように招いているのである。
ヨエルは『今、心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ」と、
主の御告げを述べた。隣人の魂の重荷を持ったあなたの心、神に向かって叫ぶあなたの魂が、
とりなしなのである。それに対して、冷淡であり、気まぐれのようにしか祈らず、
涙を流したことがなく、重荷もないままで祈っているとするならば、
それは霊的な罪ではないだろうか。涙をもって家族や友人のために、
重荷を持ってとりなし、涙をながすことが、神によって忘れられたり無駄になったりする
ことは決してない。涙とともに蒔く者が喜び溢れることは、確実である。
「愛する主よ 私に涙を与えて下さい。
 私がとりなしをする時 涙を私に与えて下さい
 毎日あなたの御座でひざを折って祈る時 私に涙を与えて下さい」
(W・デュウェル宣教師の詩より引用)

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