『モーセの新しい神経験』
−宣教拡大の年−
【聖句】
『モーセは言った『なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。』
・・神は柴の中から彼を呼び、『モーセ、モーセと仰せられた。』彼は『はい、ここにいます。と答えた』
(出エジプト3章3・4節)
「ヒルマンに聴け!』という講演会が9月12日に開催された〈千葉県)。
熱心なクリスチャンで知られる、日本ハム球団のヒルマン監督が、今季限りで
同球団を退団するという事実が明らかにされた。「私にとっては、神様第一、
家族第二、仕事第三.この優先順位に正直でありたかった」と、
自らの信仰と決断について語った。 御言葉は、ヨハネ14章6節、コリント第一13章13節を
引用されたとのこと。これほどの信仰表明は、イエス様を信じての神経験が背景になっていると思う。
クリスチャンは神経験が大切である。さらに新しい神経験を目指したい。
冒頭の聖句は、モーセが新しい神経験をした時の神との語り合いで、
私たちひとりひとりにも共通する経験なのである。
モーセの誕生には両親の信仰があった。当時、エジプト王は「ヘブル人に生まれた男子はみな、
ナイル川に投げ込め」と命令を出した。しかし、両親が王の命令を恐れず、3ケ月間隠したのは、
ただ人情からのみでなく、信仰によっての行為だった。神の摂理だろうか。
赤子はエジプトの王女に拾われ公然と王子のように養育された。
使徒の働き7章22節に『モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも力が
ありました。』と記されている通り彼は最高の教育を受け、数字、言語、天文学、地学、戦術等にも
通じていたに違いない。しかも自分がへブル人であることを自覚し、奴隷の状態にある同胞のために
心を痛めた。四十才になった時に、モーセは一つの事件を起こした。あるエジプト人が同胞の一人を
打っているのを見て、このエジプト人を打ち殺し、砂の中に隠してしまった。
この性急な方法、短気な処置は、神様からも同胞からも受け入れられなかった。
モーセはミデアンの地に逃亡し、そこで羊飼いの仕事を40年間続けた。
この荒野での40年間は、彼の霊的なリーダーの力、忍耐力、円熟味、そして、神の御旨に従う意志力
などを養った。それこそ彼が、エジプトの高等教育に勝る神御自身の教育と訓練を受けた期間であった。
こうして、往年の元気は全く失せて、神様に対する信仰のみになったのである。
神の時が満ちた。「燃える柴」は神の臨在のシンボルである。
モーセは全く新しい神経験へと導かれたのであった。ここから4Cで整理することとする。
@God in Common Life
(日常生活における神)
モーセの40年間は、日々の羊飼いの仕事という変わらない生活の中に、神が生きて働かれていた事実を
知る必要がある。クリスチャン生活は、聖書を読み、祈り、教会に集うという変わらない生活の中に
あわれみ深い神がおられ、無自覚にも関わらず、神は働いておられることに気づきたい。
AGod in Crisis
(危機における神)
エジプトにいる同胞は、過酷な労働、厳しい状況下での激しい労働、そして迫害も加わったこと。
彼らの苦役は絶頂に至った。神は『・・民の悩みを確かに見、・・彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの
痛みを知っている。』と仰せられ、助け手が現れることを願っておられた。私たちは周囲の人々を
神の目から見ているだろうか。まず自分は、信仰の危機、家庭の危機の中にいるだろうか。
神はなおもおられ、神に心を向けることを待っておられるのである。
同胞、家族、友人に危機が迫っていないだろうか。神の目線に立って見ていただきたい。
神は、あなたの助けと導きを、忍耐をもって待っておられる。
BGod in Communion
(交わりにおける神)
「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(Iヨハネ1章3節)と、
また、人と人との交わりの中にも神がおられること。そして神への信頼から人への信頼へと
つながってゆく。モーセは神の臨在と事実に触れた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」と
神はモーセに仰せられたのである。アーメン。
CGod in Commission
(使命における神)
神はモーセに「今、行け」と神の使徒としての使命を授けた。たとえ困難でも、終わりは勝利であり、
祝福である。実に神様の命令は信仰者にとつ七中心的な力である。なぜなら、神は御自身を
「わたしはある」と仰せられる。それは、神のご本質を現すのだから!