『一人の霊魂の尊さ』



【聖句】
           『ひとりの罪人が悔い改めるなら、
                       悔い改める必要のない九十九匹の
                       正しい人にまさる喜びが天にあるのです』
                                   (ルカ15章7節)


過日、徳島宣教委員会が開かれ、勧話は清原修牧師(日本伝道隊)がなされ
徳島刑務所の教戒師の奉仕中で、5人の受洗者が与えられたとのこと。
その中の一人の現況を語られた。暴力団若頭で他の暴力団員を殺害し
20年の刑を受け15年となった。
出所後は組から離れ、配下の者にキリストを伝えたい由。
映画「イエス様は親分」のような人に近くなってほしいとのこと。
この経験を通して、徳島宣教協力会には積極的に参加して、
宣教大会により二人の魂が徳島県から救われることを期待しています。
冒頭の聖句を引用されて語られた。
"一人の人間の価値は地球より重い”と言われますが、現代社会は
いかがなものでしょうか。「生命の尊厳」が失れています。いのちの大切さの教育は薄いです。
しかしバイブルはいのちの大切さ、いのちの尊厳を語り続けていますね。
ここでは今月に四国放送福音番組で放送した小生の原文を紹介いたします。
「失われた霊魂の救い」「一人の魂の救いの喜び」を感じ取って下されば光栄です。

(A)「ペットロスからの救い」

現代社会はストレス社会で、犬や猫などのペットの果たす役割は実に大きい。
ペットたちは飼い主に無償の愛を無制限に注いでくれるからです。
一つ屋根の下で長い時間を共に生活するだけに、愛するペットを失った時に起こる
喪失感と悲しみ所謂「ペットロス」はどの時代よりも大きくそして深いと思う。
特に高齢者社会に入り、ペットロスに陥る人達は増えています。
悲しみのドン底の中で、最初はペットの死を否定し、ようやく心の痛みを
背負いながらも、思い出と一緒に生きて行こうと.最近では、亡くなったペットを
ぬいぐるみにしたいという人達が多くなった。
それは「ペットロス症候群」の人達に心のいやしを与えています。
そっくりの「ぬいぐるみ」が出来るからです。
私も愛犬プードルを失って、ペットを失った飼い主たちの気持ちが初めてわかりました。
飼い主の喪失感が無くなるのに時間がかかります。
さて、聖書の中に神様がエデンの園において、「あなたは、どこにいるのか」と、
罪を犯して神様の前から身を隠したアダムとエバに呼び掛けました。
それ以来、神様は神から離れた人を求めておられます。「あなたは、どこにいるのか」と。
イエス・キリストがこの世に来られたのも、神様から離れて心と魂が神の心を失い、
この世の快楽主義、利己主義、世俗主義に歩み、その結果はストレスからストレスに進み、
自分の生命を失うという悲しいニュースが伝わってきます。
ルカの福音書19章10節にて、キリストはご自分のことを「人の子(私)は、失われた人を
捜して救うために来たのです。」と言われました。今も、イエス様は、あなたの失われた心と
魂を求めておられます。是非、聖書をお読み下さいますようにお薦め致します。

(B)「一羽のキジ鳩の喜び」

11月25日教会の玄関前には一本のモミの木がありほどよい茂みと高さに育った十年前から
五年間にわたりキジ鳩が巣を作り10羽の雛が育ちめだたく巣立ちました。
しかし五年前からは多くなったカラスやヘビに卵が食べられたり、飲まれたりしました。
折角、タマゴから雛になったのに、へびの攻撃にあい、飲み込めずに雛が
死んでいる時もあって親鳥は近くの電話線に止まって悲しそうに見ていました。
聖書には「家鳩」と「山鳩」 の二種類が書かれています。
山鳩とはキジ鳩のことで家鳩とは違い、きれい好きと言うか、警戒心があると言うか、
親鳥は雛のフンをどこかに運んでいきます。ですから、巣の周辺にはフンが
家鳩のように落ちてはいません。
私はカラスやヘビから守るためにいろいろと対策を採り金網を張ったり、
巣を作り直したりして、五年間の工夫と努力の結果、五年振りにキジ鳩は卵二つを産み、
一個が「ひな」にかえった。親鳥は毎日、雨の日も風の日も交代して「えさを
運んでいました。一羽は一ケ月後にはばたいて飛び立った。
近くの電線に止まったのです。この喜びは大きく、直ぐに写真におさめました。
家族の者も大喜びでいっぱいでした。
さて、新約聖書ルカの福音書15章には、一匹とか、一枚とか、一人というものに対しての
大喜びと歓喜の声を聞くことができます。いなくなった一匹の羊を見つけた時
大喜びで羊を担いで帰ってきて、友人や近所の人達と喜びをともにしたり。
また一枚の銀貨を失った婚約女性は、探し見つけて、友達や近所の女性たちと一緒に喜びました。
一人の放蕩息子の帰還に喜び歓迎した場面もあり、「天の人間の生命がどんなに大切か」
ということ。救いは天が歓喜します。


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