『愛と赦しの教会』



【聖句】
『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、
            なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです』
                       ヨハネ第一4章10節


教会の行事には、イエス様の誕生を祝うクリスマス、イエス様のご復活を喜び祝うイースタ、
聖霊様が注がれた恵みに感謝するペンチコステがあります。三つの行事で、特にイエス様の
十字架と復活はキリスト福音宣教の根本的メッセージです。
さて、冒頭の聖句に留意して見よう。

【1】神が私たちを愛し、…

「神は愛です」(Tヨハネ4:16)と、神の真の愛は、全心を奪い、すべての愛情を占領し、
霊魂の全体を満たし、霊魂の働きを最大限までも用いて下さいます。神の愛が私たちを愛して
下さったという具体的な愛の現れは、イエス様を遣わして下さったことでした。アーメン。
【ずっと青山】で賛美されたひとつは、
★きみは愛されるため生まれた★(作洞・作曲/イ・ミンソブ)
きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている
きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている
永遠の神の愛は
われらの出会いの中で実を結ぶ
きみの存在が
私にはどれほど大きな喜びでしょう
きみは愛されるため生まれた
今もその愛を受けている
きみは愛されるため生まれた
今もその愛を受けている
神は御自分の子イエスを惜しますに与えることをされたほどに世の一人一人を愛して
大切にされました。私たちに与えて下さったイエス様は私たちのありのままを受け入れ、
愛してくださいます。私たちのなか在る才能や価値、美貌を愛して下さるのではありません。
病気であっても、障害者であっても、年を取っていても、社会的に生産性がゼロであっても、
自分は駄目だと自己嫌悪に落ち込んでいるような者であっても、主イエス様は私たちを愛し
受け止めていて下さるのです。それも、私たちが愛する前に、神が私たちをまず愛して下さったのです。
何度も失敗しても、何回も挫折しても、主イエス様は私たちを愛していて下さいます。
ですから、クリスチャンは年をとっても、病人でも輝いて生きることができるのです。
私たちは皆、主に愛され、受け入れられている集まりが教会なのです。

【2】私たちの外のために…遣わされた。

「なだめの供え物】としてイエス様は、神の前に十字架の犠牲にて献げられました。
主の十字架は私とかかわる出来事で、私の罪、私の頑固な心、私の人を赦さない心、
私の野心を除き赦しきよめるためでした。キリスト数が人を救うのではありません。
イエス様がささげられた生命の愛に固く立つことが救いなのです。

【3】ここに愛があるのです。

「目には目を、歯には歯を」という旧約聖書だけで生きている人生は、イスラエルと
パレスチナの騒動になります。日本には「敵討ち」が認められ「ゆるせん」という時代劇を見ます。
「復讐は私のすることである」と言われる神に委ねなければなりません。
イエス様の弟子ヨハネは「ここに愛があるのです」とイエス様の十字架の愛をしめしました。
そして「私たちも互いに愛し合うべきです」と相互愛を繰り返し語りました。
また、パウロもロ−マの人たちに対して、兄弟愛を、相互愛を伝えました。
この愛はアガペーの愛、犠牲の愛、無償の愛をもって初めて可能となるものです。
それは「父よ。彼らをお赦しください。」と祈るイエス様の犠牲の愛なのです。
もし人の罪を赦すなら、あなた方の天の父もあなた方を赦すてくださいます。アーメン。
私たちは言葉に態度に失敗する者ですが十字架の愛で赦し合うのです。
真の愛と赦し合う教会を形成しましょう。


hbcr28.gif