『霊性と教会』
【聖句】
『もし、神の御霊があなた方のうちに住んでおられるのなら、あなた方は肉の中ではなく御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人はキリストのものではありません。』
ローマ書8章9節
昨今、日本の福音主義教会の中で霊性またはスピリチュアリティという言葉が次第に頻繁に聞かれるようになった。しかし、その言葉の意味合いは信仰者とそうでない人々の間には相違がある。またクリスチャンの間でも把握の仕方に課題もある。
聖書的な学びには聖書が教える『霊の戦い』(聖書宣教会・内田和彦師著)が参考書として推薦するが少し難しいかも。
霊性とは何かと問われたら、簡単に定義すると、俗っぽい事や肉欲を避けて、ひたすら霊的向上を願う性格、すなわち性質である。新約聖書の文脈から霊的な人と考えている事が、いつも前提になっている。ローマ書8章には、霊的であるためには全的に御霊に支配されることが断言されている。7〜8章を熟読し経験されたい。
今回は伝道に留意して牧師の霊性と救われていない人々の霊性(霊魂)を考察する。ひとりの霊魂の救いに目覚めよう。
【1】スピリチュアリティ(霊性)
人間の精神性、内面性、人間の包括的な理解等含まれる。現状を見ると霊魂の痛みに悩む。瞬間的人生を歩む人々、何かに疲れ鬱の状態になる。多くの人々は心や霊魂の癒しを求めているのである。
【2】牧師の霊性
(1)牧師の個人的召命感、使命感
罪人が死語になり十字架の血潮による罪の赦し復活が頭脳でなく血となり肉となる事から離れた状態とか、また教会内に聖なるものが受肉していない。そのような事柄に対しての使命感が希薄している。願わくは召命感に再び燃えるように。
(2)牧師の人間性(弱さ、弱点)
弱さの中に神様が働いて下さることを。
【3】危機の中にある人から学ぶ霊性
例として末期ガンで余命がわずか。この世の治療では治らない。なぜ私が、こんな病気に・・自己の喪失、すなわち私の存在の意味、目的、死後の問題そして罪責感などがある。ここに宗教とか信仰の課題が浮上して来るのではないか。
すべての人間はそのよおうな危機的状態にあることを知らなければならない。人間存在の意味である。一つには「わたし」と「わたし」である。こんな人生課題を背負うことの苦しさ、人生を引き受けるなんてしんどいなど。その逃避が練炭による集団自殺か。三つ目は「わたしの中のわたし」である。私の病気、私の死、私の重荷にどのように付き合って行くかを学ばなければならない。
自己受容は難しい。そこには自己を認めて下さる方がおられる。超越者の存在(神)へ、血を流されたイエス様へと行く。
【4】霊性(霊魂)の仕組み
自己存在の「枠組み」の獲得、存在の意味するもの、生きている存在の内面的生命を活性化するものを獲得する。それは何かというと永遠的自分、究極的自分。
その中に内的な自分、本当の自分、自分の中の自分、裸の自分を知ること。
【5】教会の霊性
伝道者や教会員は自己の存在がない人々を受け入れる霊性があるかどうか。私たちが求道者に接する時の心得は
(1)教会の中に自分の場がある。人々との関係がある。安心できる空間がある。自分らしく振る舞える自分がいる。
(2)自分の中に神にある癒し、和解、慰めや励ましを感じる。これは多くの人々が癒しを求めているから。
(3)教会に入ると重荷を負いながらも希望がある。神様の臨在が感じられる(神が生きておられることを感じる)信仰の兄弟姉妹がいる。神に祈れる場所がある。御言葉による交流がある。
(4)自分探しは教会で経験する。そこには神のご意志の中に自分がいる。大きな「枠組み」の中に自分がいる。それは神の生命、神の愛、神の計画、神の意志の中に自分がいることがわかってくる。これが真の霊性なのである。
(5)自分の存在を見えなくしている自分を見るためには、神との和解であることを示すべきであろう。心の故郷はどこか。そこには自分を見いだすことを提供できる教会の霊性でありたい。