『聖霊様に導かれる信仰生活』



聖句 
『イエスは立って大声で言われた。「誰でも渇いているなら私のところに来て飲みなさい」私を信じる者は・・その人の心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになる。』『これは御霊のことを言われた』                                 ヨハネの福音書7章37・38・39節


今年は全国において15聖会(北海道〜沖縄)が開かれる。6月号では「四国聖会の意義と内容について」述べさせて頂いた。今月は聖会の恵みである「聖霊」の働き導きの重要性を簡略に述べたい。
冒頭の聖句はイエスご自身こそ「生ける水」の源であられ、イエスを信じその内住を体験するクリスチャンの腹から生ける水が川々のように流れ出る。
それは御霊のこと、聖霊様の満たしのことであった。その時は十字架の死、復活、そして主のご昇天後に「約束の御霊」なるペンテコステ(聖霊降臨)があり、弟子達は「聖霊に満たされ」ました。その後にも再び御霊に満たされました。
私たちもまた、幾度も聖霊に満たされなければならない。そおれは『御霊のきよめ』『聖霊のバプテスマ』の体験である。その体験が御霊に導かれるのを容易にし従いし易くする。御霊に導かれる時、聖霊が御計画されることが達成される。しかし、聖霊が導かない時、そこには挫折と失敗がある。

【1】良い導きを得る条件

* 純粋な動機
  私たち自身の祝福、苦痛から逃れたい願望、事業の繁栄、結婚への願望など神に祈ることを神は否定しない。「純粋な動機」とはクリスチャン人生のベースにある神の栄光という支配下に基づくのである。そして私たちの動機にはいっさい偽りがないということである。
* 誠実な素直さ
  神の御心に対する心の素直さがなければならない。ある人は、目の前の事態に尻込みし、他の道・安易な道を選ぶ。私たちが神の御心を尋ね求める時、私たちの好みを神に明け渡し、心からどの道に導かれようとも素直に従う。というところに到達したい。
* 不断のお祈り
  神は全能の御方であるから、私たちの生活にある小さいことをつまらないとは思わない。ですから神に祈る、神と交わるというスピリットを持ち神に接近するものである。神の霊が働き、神の導きを得る。不断の熱心な祈祷によって私たちの内側の霊的問題や現実の問題に鋭敏な感受性が養われる。すなわち、聖霊の導きに敏感になるのである。

【2】聖霊に導かれる方法

この世には様々な霊や様々な教えや思想が氾濫し働いている。それらの欺瞞から守られるためには祈り深く、注意深く、また真実な試験をしなければならない。
* 聖書
  聖書こそ試験の手段である。聖書の一節が示しているなら曲解することはない。また健全な教理、ことに主イエス・キリストにかかわる教理と両立しているからです。私たちが日々、聖書通読し忠実に御言葉を調べるときに聖霊は特別な助けを与える。
* 理性
  考える機能は神の賜物であり用いる責務はある。同時に理性そのものを信頼することは、高慢になり愚かなことでもある。「賢い人のよううに歩んでいるかどうかよくよく注意し・・」と思考すること。聖霊とのバランス感覚である。理性に聖霊が臨むとき神の御心は確かになる。


【3】導きに関する注意

* 他の人の導きを模造しない
* 何か劇的な導きが与えられことを毎日期待しない。
  聖霊は私たちの霊にやさしく迫るから。
* 神の平和がアンパイヤである
  「キリストの平和があなた方の心を支配するようにしなさい。」(コロサイ3:15)この意味を経験的に知ること。
* 早まった行動をしないこと。
  大事においては祈り、考える時もなく即刻の行動を求めることは神からではない。聖霊は優しく忍耐をもって導き私たちに時間を下さる。
* 主の導きを祈り続けよ。
  すべての大事は、導きが与えられるよう待望せよ。聖霊様に敏感に反応するよう努める。内的確信となり必ず従う。
願わくは、四国聖会において聖霊様の導きを経験しよう。


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