『キリストとその復活の力を知る』
聖句
『私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの死と同じ状態になり、そうにかして、死者の中から復活に達したいのです。』 ピリピ3章10節・11節
イエス様は生前、ご自分がよみがえることを何度も語られた。「イエスは言われた。『わたしはよみがえりですいのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。』」(ヨハネ11:25)
「イエス・キリストはご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた」(マタイ16:21)
罪のない神の御子イエス様は、神の御前に私たちの罪を赦すために、身代わりとして死なれた。そして今、イエス様は死からよみがえり、神の御子であること、罪からの救いに力があることを示された。アーメン
罪と死の恐れを感じる人々、疑いと悲観の中にある人々は、死んでよみがえられたイエス様を信じるとき、歓喜の心に変わる。
【1】イエス様の復活の形態
よみがえられたイエス様は、まちまちの姿でしたが、愛の動機をもとに、一人一人に対して行動されました。
◆ マグダラのマリヤ
「イエスは、マグダラのマリヤに御自身を現された。」日曜日の早朝、主は母マリヤを差し置いて他人のマリヤに姿を現された。何故か?
マグダラのマリヤは、以前に7つの悪霊をイエス様から追い出され救われた女性でした。彼女が悲しみ嘆きつつ日々を過ごすなら、悪霊がまたもや入り込む可能性があり、彼女の信仰や魂、また理性は他の誰よりも切迫した危険にさらされていたのを主はご存じでした。彼女は守られました。(マルコ16章9・10節参照)
◆ 3度否定したペテロ
日曜日の夕方。主は戸を閉め隠れていた弟子たちに御姿を現され、”平安があなたがたにあるように” ”聖霊を受けなさい”と言われた。
しかし、彼らは主を見て喜んだにすぎなかった。彼らは元の仕事に戻っていた。
主は愛をもって、漁師の仕事中のペテロに現れ、”私を愛するか”と3度も問われた。
ペテロは自分の頑張りで主に従っていたが、主の十字架の夜にイエス様を裏切り、捨てて、罪を犯した悲しみの中にあった。
しかし皆様、復活されたイエス様はペテロと親しく語り合い、アガペーの愛を注がれました。”あなたは、私に従いなさい”と。(ヨハネ21章参照)
◆ 疑い深いトマス
トマスにとって、神の能力に満ちた業、数々の奇跡をなされたイエス様が十字架で死んでしまわれたことは、悲しみの暗黒に入ったことでした。彼の理性も感情も疑いで覆われました。
しかし、主は復活8日目にトマスの前に御姿を現され、十字架刑の釘の跡のある手を差し出し、またヤリの跡のある脇腹を示されました。
その時、トマスは「私の主。私の神。」とイエス様の前にひざまずいて主を深く信じました。
【2】信仰者に対する形態
A姉は若い時に信仰を持ちましたが、教会から離れ幸せと思われる家庭を築いた。しかし内面的には苦しみがあり、60歳代で声も出ない食道ガンになって教会に戻り悔い改め。信仰が復活し、まもなく召天された。
A氏は世的には成功したが、70代で病床生活に入り、牧師の安問を受け続けるうちに自分もクリスチャンであったこと、伝道に熱心であったことを告白したという。やはり悔い改めて信仰を回復し召天された。
A姉、A兄は主のための御奉仕が出来なかったことを悔いられたとのこと。
今、教会を離れ信仰から遠ざかっている信仰者が早めに復活されることを祈るものである。
また、クリスチャン生活を送りつつも、いろいろな条件を付けて聖書を読む、お祈りをする、デボーションを守る、礼拝を守ることから少し外れたと自覚されたら、死からよみがえられたイエス様の釘の跡、ヤリの跡を仰ぎ見ましょう。アーメン
【3】パウロの復活観
冒頭の聖句のように、十字架と復活の体験を生涯かけて深めて行った。私たちも歩みたい。