『クリスマスは歓喜の日』



聖句 
『今日ダビデの町で、あなた方の為に、救い主がお生まれになりました。この方こそキリストです。』
                                                 ルカ2章11節

『神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。・・・・永遠のいのちを持つためである』
                                                 ヨハネ3章16節


今年は特にクリスマスに係わる言葉や現象が多く見られる。いつの間にかイルミネーションは美しい光を放つ道具になり、世の光であられるイエス・キリストは不在となる。クリスマスという言葉が一人歩いて、日本の生活の中に定着してしまっているが、まだまだ本質から離れて騒いでいるのが多い日本の今の現実かもしれない。
今年もクリスマス集会の案内のチラシ、ポスターが作られました。クリスマスのチラシ個別配布をして気づいたことは、玄関口や庭にリースを飾り付けた家庭が35件、約2%もありました。何はともあれ、クリスマスは喜びの日、正に歓喜の日である。主キリストの誕生日の祝祭ですが、全人類にとって大きな喜びである。その意味を留意しよう。

【1】神の存在の証し
天地を創造された神、全能の神の実在はお生まれになられたイエス様によって知ることが出来る。「いまだかつて神を見たこと者はいない。父のふところにおられるひとり子の神(イエス・キリスト)が、神を説き明かされたのである」(ヨハネ1:18)、又「キリストは、神のお姿であられる方なのに、・・・ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられた」(ピリピ2:6・7)とは、イエス様は父なる神の存在をご自身のお体と教えを通して証しされた。それは人間と神の二つの性質を所有の故に・・

【2】キリストの救い
なぜ「クリスマスは歓喜」なのでしょうか。その中心的理由は、イエス・キリストは『救い主』であられるから。昔も今も、人間を不幸にしている最大の原因は、人間の罪深い性質(原罪)とそれから出る罪深い言葉と行動である。2002年前のイエス様時代から見れば、科学、教育、医学など多くの分野での進歩は、人類に利益と便利さをもたらしている。しかし罪の問題は変わりません。人間の罪、私たちの罪と悲しみから救い出し、神のきよさと神の愛(アガペーの愛)に生きる者にして下さるのは、キリストによる救いなのです。
神様は、イエス様を私の罪からの救いの為に与えて下さり、即ちイエスの十字架の死によって罪を赦し、愛を与えて下さった。「愛ひとすじに」(峰野龍弘著)を読むと、峰野牧師の救いの恵みには、十字架の主の深い御愛を感じる。父への殺意に苦悩し、母は何度も自殺を図り、それ故すさんだ生活の峰野少年時代であった。今は牧師である。

【3】いのちの喜び
冒頭の聖句「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世(私たち)を愛された」と、私が滅びないで永遠のいのちを与るために、神の子イエス・キリストを私に与えて下さった。この方を信じる者は、誰でも永遠の命の喜びを持つ者である。人生の終わりは、死ではなく永遠の命へのスタートである。クリスマスはその喜びが来た日なのである。
徳島市民クリスマスで講演をされた三浦光世兄は、妻の言葉として”私はいつもクリスマスよ”と言われたという。クリスチャン作家・三浦綾子さんの心情は、計り知れないキリストへの深い愛、人への愛の広さを感じさせられた私でした。
(結び)クリスマスは歓喜の日である。同時に、十字架まで一直線に思いを走らせることである。「この方こそキリストです」キリストとは、油注がれて神に立てられた預言者、祭司、王という三つの職務を持ちました。それは、私たちを真理に導く預言者として、私たちの罪を赦すため聖い神と罪深い人とを結ぶ祭司として、罪とサタンの力に勝利をもたらす王としてキリストは十字架に私たちの身代わりとなって死なれ、三日目には復活されました。本当のクリスマスとは、あなたの人生を救い、新しく造られ、すてきな将来と希望に導くイエスを信じることです。

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