私はいま56歳になろうとしている壮年です。
大学を出て現在の会社に就職し34年目を迎えています。
「好きな仕事」ということもあり、今まで同じ会社で変わらずに仕事を続けてくることができたことは、幸せに感じております。
入社後6回の転勤を経験し、45歳のときに徳島に赴任しました。
仕事上では、左遷・降格・昇進など紆余曲折もありましたが、自分自身が好きな仕事でもあり、その時々では淡々とした気持ちで受け止め、過ごせてまいりました。
徳島勤務になってからしばらくは、時代はデフレ不況に突入していたにもかかわらず、私自身の仕事は、本当に順調で、家庭と子供達は妻に任せっきり、「お客様とのコミュニケーションこそが大事だ」と、平日は夜の接待・土日は接待ゴルフ…会社にあっては順風満帆の毎日、家庭人としてはまさに家庭を顧みない、今思い出すと本当にぞっとする、すべてが罪・罪の連続でした。
私の性格が、外面が良く、良く言えば「仕事中心の人間」、
本当は「自分勝手な自己中心の高慢な性格」だったと思います。
人生良いことは続かない…案の定、そんなとき相次いで仕事上で悪いことが次々と起こりました。私は精神的なショックもあり、
その苦痛から逃げ、ずるずるとだらしない生活を続けておりました.
その結果、家庭面・金銭面・健康面の障害を生じてしまいました。
ある日、妻から誘われるままに教会の聖日礼拝に参加しました。
全くの無神論者の私が教会に来ても、もちろん賛美歌は歌えないし、
聖書の意味も分からない状態でした。
しかしその礼拝の最後にあった感謝の祈りの中で、ある姉妹が
「罪を告白し悔い改めれば必ず救われる…」という意味の祈りを聞き、
少し楽になった気分がしたのを今でも覚えています。
礼拝が終わり、その帰りの車の中での出来事でした。
私はなんと涙が溢れ出て止まらなくなったのです。
『罪は赦される』その事で胸が一杯になったのです。
それから数週間後、私は教会で罪を告白し、半年ほどの聖書の
学びの時を経て、50歳のペンテコステの日に妻と共に洗礼を受けました。
現在職業人としてのクリスチャン生活の中で、相変わらず信仰と
現実との葛藤は続いています。毎日毎日の色々な出来事に遭遇し、
信仰者として判断に迷うこともあります。
また、罪を犯してしまうこともあります。しかし先日、聖書から
「恐れるな、わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」(イザヤ書41章10節)という御言葉を学びました。
仕事をしていく中での力強い聖句として、神様にゆだねて歩んでいます。
長女と長男も数年前に洗礼を受け、いまは家族4人で信仰生活を共に歩んでいます。
『もし私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪 を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます』
(ヨハネの手紙第一、1章9節)
神様はいつも私たちを愛してくださっています。50年間、罪を犯し続けた、この私を赦し、安息の毎日を守り続けてくださっています。
そのことを実感していける恵みはすばらしいものです。
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